第二次世界大戦

「第二次世界大戦」の一問一答問題です。

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VII-44. 第二次世界大戦の開始

1939年3月にを解体したヒトラーは,さらにに対して(現グダニスク,グダンスク)の返還とを通って東プロイセンにいたる陸上交通路を要求した。この情勢下,イギリス・フランスが[ 2 ]の安全保障を約束したので,[ 2 ]はドイツの要求を拒否した。一方,イギリス・フランスに不信感を持っていたソ連のと,英・仏とソ連という二正面作戦は避けたいと考えたヒトラーの利害が一致し,39年8月に電撃的にが結ばれた。ドイツは,9月1日に[ 2 ]に侵攻し,それに対し英・仏が9月3日にドイツに宣戦して第二次世界大戦が始まった。
check_icon6(1)[ 6 ]の秘密議定書では,独ソ両国による[ 2 ]分割と東ヨーロッパの勢力圏を定めていた。それによると,フィンランド・バルト3国はソ連の勢力範囲とされていた。この秘密議定書に従って,9月半ばにソ連も[ 2 ]に侵攻した。(2)ソ連がドイツのファシズムと手を結んだことは大きな衝撃を与えた。反ファシズム統一戦線であった運動が動揺したほか,満州国とモンゴル国境のノモンハンでソ連と衝突していた日本にも大きな衝撃を与え,時の平沼騏一郎内閣は欧州情勢は「複雑怪奇」という声明を出して総辞職した。

VII-45. 第二次世界大戦-1939年9月から40年春までの状況-

1939年9月1日にドイツ軍の侵攻を受けたは,9月半ば軍の侵入も受けて敗北し,両国間で分割された。[ 2 ]はつづいて,に宣戦し,カレリア地方を奪った。これを受けて,[ 2 ]は国際連盟により侵略国として除名されたが,40年に3国(・ラトヴィア・リトアニア)を併合し,からベッサラビアを割譲させた。一方,イギリス・フランスはドイツに宣戦はしていたが,ドイツを積極的に攻撃することはなかったので,西部戦線は40年春までは平穏であった。
check_icon6イギリス・フランスが宣戦布告後もドイツを攻撃しなかったことを,「まやかし戦争」などと呼ぶが,この背景にはフランスがドイツとの国境沿いに建設していたマジノ線と呼ばれる強固な要塞線の存在がある。フランスは,これを過信し,対ドイツ戦を楽観視していた。しかし,マジノ線はベルギーとの国境には作られておらず,ドイツ軍はここを突破してフランス軍とフランスに駐留していたイギリス軍を破った。

VII-46. 第二次世界大戦-フランスの降伏-

1940年春,ドイツ軍は中立国であったデンマーク・を占領した上で,5月に中立国であったオランダ・に侵入し,さらにフランスへ侵攻した。40年6月にパリが占領されてフランスは降伏した。ドイツ軍の優勢を見て,イタリアも6月に英仏に宣戦し,南フランスに侵入した。フランスでは,共和政が崩壊し,フランスの北半はドイツ軍に占領され,南半はドイツに協力するに率いられる政府が統治した。しかし,らは降伏を拒否し,ロンドンに亡命政府()をつくり,国民に抵抗運動()を呼びかけた。
check_icon6ベルギーは第一次世界大戦においてもドイツにより中立を侵犯され,第二次世界大戦においても再び中立を侵犯された。

VII-47. 第二次世界大戦-英の苦境-

ドイツ軍が・ノルウェーを占領すると,イギリス首相は辞任し,1940年5月にが戦時内閣の首相となり,強力に戦争指導を行った。6月にフランスを降伏させたドイツは,イギリス上陸をねらって8月からドイツ空軍がイギリスを空襲したが,イギリス空軍が制空権を死守したため,ヒトラーはイギリス上陸作戦を断念した。日本・ドイツ・イタリアは,大戦前の37年にを結んでいたが,それを発展させて,40年9月にが結ばれた。この同盟で,ドイツはソ連の兵力を東西に分断させることをねらい,日中戦争を戦っていた日本はアメリカを牽制することをねらったが,この同盟により日本とイギリス・アメリカとの関係はさらに悪化した。一方,フランス降伏後,単独でドイツ・イタリアと戦っていたイギリスをアメリカが援助した。アメリカは大戦勃発後に中立法を改正してイギリス・フランスへの武器輸出を認め,さらに41年3月にを制定し,イギリスへ武器・軍需物資を事実上供与した。
check_icon6[ 6 ]はのちに中国・ソ連にも適用された。

VII-48. 第二次世界大戦-1941年における新展開(1)-

イギリス上陸作戦を断念したヒトラーは東方へ目を転じ,1941年4月に半島に侵攻し,ユーゴスラヴィアとギリシアを制圧した。ドイツの[ 1 ]進出に危機感を強めたソ連は,同年4月東方の安全を確保するためを結んだ。41年6月,ドイツは39年に締結していたを無視して,ソ連を奇襲してが開始された。[ 4 ]の開始を機に,イギリスとソ連は同盟を結んだ。41年8月,アメリカ大統領とイギリス首相が大西洋上で会談し,戦争目的と戦後の平和構想を明らかにするを発表した。
check_icon6(1)イギリスと同盟を結んだソ連は,43年にアメリカ・イギリスとの協調を深めるためにコミンテルンを解散した。(2)大西洋憲章が発表された41年8月の段階では,アメリカはまだ参戦していないことに注意!!アメリカの参戦のきっかけは,41年12月の日本による真珠湾攻撃である。(3)ユーゴスラヴィアでは,ドイツ軍に対しが指導する闘争が展開された。(4)ドイツは,アウシュヴィッツなどので多数のユダヤ人を殺害するホロコーストを行った。

VII-49. 第二次世界大戦-1941年における新展開(2)-

1937年に始まったの長期化で国力を消耗していた日本は,南方への進出を図り,フランスがドイツに降伏すると,40年9月に北部に進駐した。41年4月にを結んで北方の安全を確保したのち,7月には[ 2 ]南部にも進駐した。この南進政策はイギリス・アメリカ・オランダの利害と衝突した。41年4月から始まった日米交渉では,日独伊三国同盟や日本軍の中国からの撤兵などが話し合われたが,双方の見解の差は大きく交渉は難航した。日本が行った[ 2 ]南部進駐に対して,アメリカは石油の対日輸出停止などの強硬な対抗措置をとった。その後も日米交渉はまとまらず,1941年12月8日に日本軍がハワイのを奇襲するとともに,イギリス領マレーに上陸して,が始まった。三国同盟により,ドイツ・イタリアもアメリカに宣戦したので,戦争は日独伊を中心とするとアメリカを中心とするの戦いとなった。
check_icon6(1)太平洋戦争前に対日包囲網を築いたアメリカ・イギリス・中国・オランダを日本では「ABCDライン」と呼んだ。(2)「[ 5 ]」とはアメリカ側の呼称。日本では,日中戦争も合わせて「大東亜戦争」と呼んだ。

VII-50. 大西洋憲章

アメリカ大統領とイギリス首相が1941年8月に発表したは,領土不拡大・民族自決・貿易の自由化と拡大・海洋の自由・平和機構の再建など8カ条からなっていたが,その後ソ連も加わり,翌42年1月には連合国26か国によるへと発展した。
check_icon6[ 4 ]は[ 3 ]の原則を確認し,単独で休戦や講和をしないことを誓約したもの。この宣言で正式に採用された「連合国」という語は”the United Nations”であるが,これは国際連合の名称である。

VII-51. 第二次世界大戦-連合軍の反撃-

1942年夏までは枢軸国側が優勢を保っていたが,やがて戦局が転換した。東南アジアのほぼ全域を占領し,欧米列強を排除した「」建設をうたっていた日本は,42年6月に海戦で致命的打撃を受け,43年2月にガダルカナル島でアメリカ軍に敗れ,後退するようになった。ソ連領内に侵攻したドイツ軍は,43年2月に(現ヴォルゴグラード)でソ連軍に敗北した。アメリカ・イギリス軍を中心とする連合軍は42年11月に北アフリカに上陸したのち,43年7月に島に上陸した。この情勢下,イタリアで政変が起こり,が失脚し,かわった政府が9月に連合軍に無条件降伏した。

VII-52. 第二次世界大戦-戦争の終結(1)-

1943年11月,アメリカ大統領・イギリス首相と中華民国のによる会談で,対日処理方針を定めた[ 4 ]宣言が発表された。宣言では,日本が第一次世界大戦後に獲得した太平洋上のすべての島をとりあげ,満州・台湾・澎湖諸島を中国へ返還し,朝鮮を独立させることが表明されていた。その直後43年11月,[ 1 ]・[ 2 ]とソ連のによる会談で,北フランス上陸作戦が協議された。この決定に基づいて44年6月,ヨーロッパ連合軍総司令官指揮下の連合軍がに上陸した。フランスでは,8月にパリが解放され,政府にかわってを中心とする臨時政府が誕生した。
check_icon6[ 6 ]上陸作戦として実現された北フランス上陸作戦のことを第二戦線と呼ぶ。独ソ戦開始以来,ソ連の[ 3 ]は米英軍がヨーロッパ大陸西部で新たな対独反攻作戦を行うことを要求していたが,これが実現したものである。

VII-53. 第二次世界大戦-戦争の終結(2)-

1945年2月,アメリカ大統領・イギリス首相とソ連のがクリミア半島ので会談し,[ 4 ]協定が結ばれた。協定では,米英仏ソ4か国によるドイツの分割占領と共同管理,ポーランドや中欧・バルカン諸国問題が定められた。さらに米ソ間の秘密協定では,ドイツ降伏後3カ月以内にソ連が対日参戦することと,その条件として南樺太の返還と千島列島を引き渡すことなどが定められていた。45年4月末にヒトラーが自殺し,ソ連軍によってベルリンが陥落したのちの5月7日にドイツはした。
check_icon6[ 1 ]は[ 4 ]会談から帰国後,45年4月に病死して,副大統領のが大統領に昇格した。

VII-54. 第二次世界大戦-戦争の終結(3)-

1920年以来,日本がとして統治していたが44年7月にアメリカ軍により陥落されたのち,[ 2 ]は日本本土空襲のための基地とされた。45年2月にアメリカ軍は硫黄島に上陸して日本本土空襲の中継基地として利用し,さらに4月にはに上陸した。7月,アメリカ大統領,イギリス首相(途中で労働党のと交代),ソ連のがで会談し,米英仏ソ4か国によるドイツ共同管理を決定するとともに,日本に対してを求める[ 8 ]宣言が米英中3か国の名をもって発表された。
check_icon6[ 8 ]宣言には当初,ソ連が加わっていないことに注意!!日ソ中立条約の規定を無視し,45年8月8日に日本に宣戦したのちに,ソ連は[ 8 ]宣言に加わった。

VII-55. 第二次世界大戦-戦争の終結(4)-

日本は,天皇を中心とする体制の存続が保証されていないことを問題として,米英中3か国が発した宣言を黙殺した。1945年8月6日にアメリカがにを投下,8日にの規定を無視してソ連が日本に宣戦し,さらに9日にアメリカはに[ 3 ]を投下した。ここにいたり,日本は8月14日に[ 1 ]宣言を受諾し,翌15日に昭和天皇が国民に発表した。45年9月2日,東京湾内のアメリカ戦艦ミズーリ号艦上で日本は降伏文書に調印して,第二次世界大戦は終結した。
check_icon6対日参戦したソ連は,日本が[ 1 ]宣言を受諾したのちも戦闘を続け,9月2日に日本が降伏文書に調印したのちに,北方領土の歯舞諸島を占領した。さらに60万人をこえる旧軍人・民間人をシベリアに抑留し,強制労働に従事させ,約1割の日本人が死去したとされる。