VIII-37. 東欧圏における1956年の動揺
1956年,ソ連共産党[ 1. ]大会で[ 2. ]第一書記が[ 3. ]を行うと,[ 4. ]とハンガリーでソ連からの自立と自由化を求める動きが現れた。[ 4 ]では56年,[ 3 ]が伝わるとポズナニで反政府反ソ暴動が起きたが,[ 5. ]第一書記が強引にこの運動を収束させた。[ 5 ]は農業の集団化の廃止などの自由化路線をとったが,徐々に保守的になり自由化を否定するようになった。ハンガリーでも56年,自由化を求める声が高まり改革派の[ 6. ]が首相となり,[ 7. ]からの脱退と中立を宣言した。しかし,軍事介入したソ連軍により[ 6 ]政権は倒され,[ 6 ]は処刑された(ハンガリー事件)。
ハンガリー事件が進行している同時期に,[ 8. ](スエズ戦争)が勃発し,イギリス・フランス・イスラエル軍がスエズ運河地帯を占領した。アメリカや国際世論はハンガリー事件とスエズ戦争の両者への対応を迫られた。