VIII-38. 東欧圏における1960年代の動揺

0 / 6 件の答えを表示中

ソ連では,スターリン批判を行い,平和共存政策を推進していた第一書記が,1964年に農業政策の失敗などを理由に解任され,が第一書記(のち書記長)となり,自由化の進展をおさえた。一方,東欧諸国がソ連圏から離脱する動きは続き,61年にアルバニアがソ連と断交し,64年にはがフランスや中国に接近し,ソ連から距離をとる独自外交路線をとった。チェコスロヴァキアでは,68年に政権が「」と呼ばれる民主化・自由化を進めた。自由化が波及することを恐れたソ連は,東ドイツ・ポーランドなどのの4か国を率いて軍事介入し,自由化運動を弾圧した。
check_icon6(1)チェコスロヴァキアへの軍事介入を正当化するために,[ 2 ]は社会主義体制を守るためには一国の主権は制限されるとする「制限主権論」([ 2 ]=ドクトリン)を唱えた。(2)1968年には,ベトナム反戦運動がアメリカから全世界的に広まり,フランスでは「五月危機(革命)」が勃発した。