帝国主義期のフランス

「帝国主義期のフランス」の一問一答問題です。

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VI-11. 帝国主義期のフランスの内政(1)

ナポレオン3世によるが1870年に崩壊したのちに成立したは,1875年に憲法が制定されて確立した。だが,対ドイツ強硬派がおこしたクーデタ未遂事件(事件)や,ドイツのスパイの容疑がかけられたユダヤ系太尉に対する冤罪(えんざい)事件(事件)がおき,[ 2 ]は動揺した。[ 4 ]事件では,人権と共和政を擁護する共和派と,反ユダヤ・反共和政をとる軍部・カトリック教会が対立し,[ 2 ]は崩壊の危機に見舞われた。
check_icon6(1)[ 4 ]事件に際し,自然主義作家は[ 4 ]を擁護し,軍部とカトリック教会を批判した。また,この事件を契機に共和政支持勢力がまとまり,1901年に中産階級政党である急進社会党が成立した。(2)[ 4 ]事件における反ユダヤ主義に衝撃を受けたジャーナリストのヘルツルは,パレスチナにユダヤ人国家を建設しようとするを唱えた(参照:XIII-17)。

VI-12. 帝国主義期のフランスの内政(2)

労働運動においては,労働組合が議会主義を否定し,ゼネストや労働者の直接行動による社会革命を求めるが現れた。1905年,第2インターナショナルの決議に沿い社会主義諸団体が結集してフランスが成立した。また同年,急進社会党の主張によりが成立し,カトリック教会の政治介入を防いだ。

VI-13. 帝国主義期のフランスの進出(1)

フランスが1883・84年のユエ条約でベトナムを保護国化したことに対し,84年に戦争が勃発した。清を破ったフランスは条約(1885年)で,ベトナムに対する清のを放棄させた。1887年,ベトナムとカンボジアをあわせてを成立させ,1899年にはをこれに加えた。
check_icon6朝鮮をめぐる甲申政変(1884年)に関して日本と清が結んだ天津条約も1885年に結ばれている。年も名称も同じなので注意!!

VI-14. 帝国主義期のフランスの進出(2)

1830年から北アフリカのを征服していたフランスは,1881年にを保護国とした。フランスはサハラ砂漠から,東海岸のと,アフリカ南東沖にあるを結びつけるアフリカをとり,イギリスのアフリカと対立した。1898年に両国はスーダンで衝突し,事件がおこった。事件の混乱の渦中にあったフランスは,ドイツの進出を恐れてイギリスに歩み寄り譲歩した。
check_icon6フランスによる[ 2 ]出兵はイタリアの反発を買い,1882年に独墺伊による三国同盟ができる契機となった。

VI-15. 帝国主義期のフランスの進出(3)

1898年の事件で譲歩したフランスは,ドイツの進出を恐れ,イギリスに歩み寄った。しかし,1904年に勃発したの図式は両国にとって危うい関係であった。イギリスはを結び,フランスはを結んでいたため,同盟関係からはイギリスとフランスは敵対していた。そこで,[ 2 ]が勃発すると,両国は協議を行い,をイギリスの,をフランスの勢力圏として認め合うを同04年に締結して,ドイツに対抗した。フランスは,1905年と11年の2回にわたる[ 6 ]事件でドイツの進出をおさえて,1912年に[ 6 ]を保護国とした。