19世紀のイギリス

「19世紀のイギリス」の一問一答問題です。

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V-80. 19世紀におけるイギリスの覇権

産業革命をいち早く成し遂げたイギリスでは,資本家が台頭し,19世紀前半に主義改革が行われ,[ 1 ]資本家の利害に即した社会が実現していった。19世紀半ばに「」といわれたイギリスは,圧倒的な海軍力を背景に,世界各地に[ 2 ]貿易を推し進め,世界各地を製品の輸出市場や原料供給地とした。こうして覇権を確立したイギリスによって平和が維持される状態を,「」と呼ぶ。
check_icon6(1)イギリスの最盛期は,女王(位1837-1901年)の治世の前半に当たる。(2)19世紀半ばに,党が保守党,党は自由党と呼ばれるようになった。

V-81. 自由主義

国家が積極的に経済活動に介入した絶対王政時代のに対して,人間の活動,特に経済活動に規制を加えず,自由な活動を認める考え方を自由主義という。18世紀後半に古典派経済学を開いたは『』で(レッセフェール)政策を唱えた。19世紀になると,「最大多数の最大幸福」実現を目標とするのなどが自由主義思想を広め,資本家に支持された。政治面においては,自由主義思想は国家と民主主義を目指した。

V-82. イギリス自由貿易政策(1)

ナポレオン戦争終結後の1815年に,穀物が一定金額以下になった場合は穀物輸入を禁止するというが制定された。のちに一部修正されたが,[ 1 ]はナポレオン戦争終結後に大陸から安価な穀物が流入して穀物価格が低下することを防止した,地主や農業経営者の利益を守る法律であった。資本家は[ 1 ]を貿易の典型と見なし,1839年にやらが参加したを結成し,廃止運動を展開した。1845年にイギリス国内で凶作となり,またアイルランドでが起きたことを背景に,年に保守党ピール内閣が[ 1 ]を廃止した。これは,地主による社会的・政治的な支配が終わったことを意味する。

V-83. イギリス自由貿易政策(2)

自由貿易政策を求める資本家は,特許状を得て貿易を独占していたの貿易独占を批判した。その結果,1813年には貿易独占権が,さらに33年には貿易独占権が廃止された。また,輸出入はイギリス船と相手国の船に限るとする1651年のも年に廃止され,自由貿易がほぼ実現された。

V-84. 奴隷制廃止

人道的立場からの奴隷制廃止運動が展開されるなか,イギリスでは1807年に奴隷貿易が廃止されたのち,1833年に奴隷制度そのものが廃止された。フランスでは,1848年に共和政下で奴隷制が廃止された。アメリカでは,南北戦争で北部が勝利した結果,年に奴隷制が廃止された。

V-85. イギリス自由主義改革

フランス革命の影響で労働運動が活発化することを恐れて制定された団結(結社)禁止法が,自由主義の高まりの結果,1824年に廃止され労働組合の設立が認められた。また,1833年にが施行され,労働時間が制限されるなど労働者の保護も進んだ。公職就任者を国教徒に限っていたが年に廃止され,さらにアイルランド人のオコンネルらの運動の結果,翌29年にカトリック教徒への差別を撤廃するが施行された。

V-86. イギリス選挙法改正(1)

産業革命で発展した新興商工業都市の産業資本家や労働者には選挙権が与えられていなかったが,ホイッグ党のグレイ内閣のもと年に第1回選挙法改正がなされ,産業資本家をはじめとする中産市民層の成人男性に選挙権が拡大された。同時に,有権者が極端に少なくなったが廃止された。一方,選挙権が与えられなかった労働者は,男性普通選挙制などを求めるを掲げて,運動を展開した。[ 4 ]運動は,フランスの二月革命の影響でヨーロッパ全域で革命の嵐が吹き荒れた年に頂点に達したが,その後衰退した。

V-87. イギリス選挙法改正(2)

19世紀半ばに産業資本家の利害を代表するホイッグ党は,地主の意向を重視するトーリ党はと呼ばれるようになり,交互に政権を担当する二大政党制が確立した。保守党ダービー内閣が年に実施した選挙法改正ではに選挙権が与えられた。さらに,[ 1 ]の内閣が年に実施した選挙法改正では・鉱山労働者に選挙権が与えられた。ただし,[ 8 ]選挙法改正までは,該当する男性のみにしか選挙権は与えられず,女性は除外されていた。

V-88. イギリス選挙法改正(3)

第一次世界大戦の総力戦下で,女性が工場などで働いて社会進出を果たした結果,女性参政権を求める声が高まった。そこで,挙国一致内閣は年に行った選挙法改正で初めて女性参政権を認めたが,男性は21歳以上,女性は30歳以上と男女不平等であった。保守党内閣のもとで年に行われた選挙法改正で21歳以上男女の普通選挙制が確立した。

V-89. アイルランド問題(1)

アイルランドは12世紀以来イングランドによって支配されていたが,ピューリタン革命中の1649年にが土地を没収し,系で教徒のアイルランド人はプロテスタントのイギリス人不在地主に支配される小作人の地位に置かれた。1801年にイギリスはアイルランドを併合し,国名をグレートブリテン(大ブリテン)-アイルランド連合王国とした。その後,アイルランド人は[ 3 ]信仰の自由と政治的自治を求め,1829年にはが出された。1840年代半ばに飢饉がおきると,アイルランドからは100万人以上の移民がにわたった。

V-90. アイルランド問題(2)

1880年代以降に自由党の内閣が提出した案は成立しなかった。[ 2 ]は1914年に成立したが,の勃発で実施は延期された。[ 3 ]中の1916年,独立を求める急進派がおこした蜂起はイギリス軍によって鎮圧された。1918年の総選挙で勝利を収めた急進派の党は19年に独立を宣言した。これに対してイギリスも譲歩し,年にプロテスタントが多数を占めていた北部のアルスターを除いてとして自治領となった。1926年のイギリス帝国議会の決議により,各自治領は本国と対等の地位を得て,31年の憲章でが成立した。だが,アイルランド独立派はこれに反対し,1937年に完全独立を宣言し,と改称した。