帝国主義期のイギリス

「帝国主義期のイギリス」の一問一答問題です。

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VI-4. 帝国主義期のイギリスの内政(1)

保守党の首相は,年に女王を皇帝とするインド帝国を成立させた。自由党の首相は,農業労働者と鉱山労働者に選挙権を与える選挙法改正を行ったほか,法案を提出したが,可決されなかった。また,[ 4 ]首相は,70年に公立学校の増設を進めるを制定し,71年には労働組合法で労働組合を法的に承認した。
check_icon6イギリスの選挙法改正では,第3回までは男性のみに選挙権が与えられたことに注意!!第一次世界大戦の総力戦下で,女性が工場などで働いた結果,1918年の第4回選挙法改正で初めて女性参政権が認められた。

VI-5. 帝国主義期のイギリスの内政(2)

イギリスはインドなどの非白人系植民地は直接支配する一方,白人植民者が多い植民地には自治権を与えて,間接的に支配するようになった。1867年に連邦が最初の自治領とされた。その後,1901年に連邦が,07年にニュージーランド,10年に連邦が自治領となった。

VI-6. 帝国主義期のイギリスの内政(3)

イギリスの社会主義運動は穏健な運動が主流となった。バーナード=ショーや夫妻らが活躍した協会と独立労働党が中心になって,1900年にが結成され,06年にとなった。[ 4 ]は権力奪取をめざすマルクス主義の立場はとらず,ゆるやかな社会改革をめざした。

VI-7. 帝国主義期のイギリスの内政(4)

1905年に成立した自由党内閣は,労働党の協力のもと社会改革を実行し,ドイツのビスマルクの社会政策にならい,11年に健康保険と失業保険を含むを制定した。また,同年に下院の上院に対する優位を確立するを成立させた。さらに,自由党内閣は1914年にを成立させたが,第一次世界大戦が勃発したため実施は延期された。

VI-8. 帝国主義期のイギリスの海外進出(1)

保守党の首相は,1875年にエジプトが保有していたスエズ運河株を買収した。自由党のは,81年にエジプトでおきた運動(革命)を翌82年に単独で鎮圧し,エジプトを保護国とした。スーダンでは,(救世主)を名乗るムハンマド=アフマドが蜂起し,太平天国の討伐に活躍したを戦死させたが,98年にイギリスの支配下に入った。
check_icon6スエズ運河はフランス人外交官により建設されたもので,フランスも株式を保有し,エジプトに利害を持っていた。しかし,1881年にフランスが行った遠征にイタリアが反発し,フランスはイタリアと対立していた。

VI-9. 帝国主義期のイギリスの海外進出(2)

イギリスはエジプトと植民地を結ぶことをめざすアフリカをとった。これに対しフランスは,サハラ砂漠からジブチ・マダガスカルを結ぼうとするアフリカをとっており,両国は1898年スーダンので衝突した。当時のフランスはユダヤ系太尉に対する冤罪(えんざい)事件(事件)による政治的混乱の渦中にあり,また急速に勢力を拡大しつつあったドイツに対抗するためにはイギリスとの関係を悪化させるわけにはいかず,[ 4 ]事件ではフランスが譲歩した。

VI-10. 帝国主義期のイギリスの海外進出(3)

アフリカ南部では,ケープ植民地首相が周辺に侵攻する政策をとっていた。1899年,植民相のもと,オランダ系移民の子孫人に対する戦争をおこし,イギリスは激しい抵抗を受けながらも1902年に共和国と自由国を併合した。イギリスは,エジプトの,南アフリカ共和国の,インドのを結んでインド洋を支配しようとすると呼ばれる帝国主義政策をとったが,をとるドイツと対立した。
check_icon61900~01年に義和団事件が起きたが,[ 4 ]戦争のために,イギリスは中国へ大量派兵できなかった(参照:XII-20)。