IX-131. 古代の朝鮮半島
前2世紀初めに燕から亡命してきた[ 1. ]が[ 2. ]を建てた。漢の第7代[ 3. ]は前108年に[ 2 ]を倒し,[ 4. ]などの朝鮮4郡を置いた。しかし,[ 4 ]以外は漢の支配はゆるみ,長続きしなかった。後漢末に遼東半島で自立した公孫氏が[ 4 ]を支配し,その南部を分離して帯方郡を置いた。3世紀半ば,公孫氏は魏に滅ぼされ,その後[ 4 ]は朝鮮半島北部を支配する[ 5. ]に313年に滅ぼされ,帯方郡は朝鮮半島南部の韓族によって滅ぼされた。
「朝鮮半島と日本」の一問一答問題です。
前2世紀初めに燕から亡命してきた[ 1. ]が[ 2. ]を建てた。漢の第7代[ 3. ]は前108年に[ 2 ]を倒し,[ 4. ]などの朝鮮4郡を置いた。しかし,[ 4 ]以外は漢の支配はゆるみ,長続きしなかった。後漢末に遼東半島で自立した公孫氏が[ 4 ]を支配し,その南部を分離して帯方郡を置いた。3世紀半ば,公孫氏は魏に滅ぼされ,その後[ 4 ]は朝鮮半島北部を支配する[ 5. ]に313年に滅ぼされ,帯方郡は朝鮮半島南部の韓族によって滅ぼされた。
朝鮮半島南部では,韓族の諸国が馬韓・弁韓・辰韓にまとまり,4世紀半ばに半島南西部の馬韓の地に[ 1. ],半島南東部の辰韓の地に[ 2. ]が成立した。さらに,中国東北地方から半島北部を[ 3. ]が支配した。[ 1 ]・[ 2 ]・[ 3 ]が抗争を繰り広げたのが,朝鮮の三国時代である。[ 3 ]は313年に[ 4. ]を滅ぼし,[ 5. ]のときに全盛を迎えた。[ 1 ]・[ 2 ]・[ 3 ]の3国は,北朝・南朝に朝貢して冊封を受け,7世紀まで抗争を続けた。突厥と結んだ[ 3 ]に対して,隋の[ 6. ]が大軍を送ったが,[ 3 ]はこの侵攻を撃退した。唐が[ 2 ]と連合して,660年に[ 1 ]を,ついで668年に[ 3 ]を滅ぼして三国時代は終わった。
(1)辰韓 → 新羅は最初の音が「しん,しん」と同じであると覚えよう。(2)新羅は半島の南東部に位置するが,唐と同盟すると,百済に対しても,高句麗に対しても挟み撃ちが出来る位置に当たると覚えよう。
唐と新羅が連合して,百済・[ 1. ]を滅ぼしたのち,唐は朝鮮半島を直接支配下に置こうとした。新羅は,唐に抵抗して唐の勢力を退け,676年に朝鮮半島で最初の統一国家を樹立した。新羅は,改めて唐の冊封を受けた上で,唐の官僚制を導入し,中央集権体制を作り上げ,[ 2. ]と呼ばれる身分制度によって貴族中心の秩序を整えた。新羅は[ 3. ]を保護し,都の[ 4. ]では[ 5. ]などで仏教文化が栄えた。9世紀末以降分裂し,935年に[ 6. ]に投降して滅んだ。
[ 4 ]は新羅の時代には,金城と呼ばれた。
西南日本では弥生時代から稲作技術が進み,前2~前1世紀頃に「[ 1. ]」と総称される小国家が形成された。その中の「奴国(なこく)」が後漢の建国者[ 2. ]に朝貢し,「[ 3. ]」の金印を与えられた。3世紀には邪馬台国の[ 4. ]が三国の[ 5. ]に朝貢し,「親魏倭王」の称号を与えられた。5世紀には倭国の王(倭の五王)が南朝にたびたび朝貢し,また朝鮮半島南西部にあった[ 6. ]や加耶(加羅)諸国と結んで朝鮮半島の抗争に介入した。半島南東部にあった[ 7. ]が6世紀半ばに加耶(加羅)を滅ぼし,さらに660年に唐と結んで[ 6 ]を滅ぼすと,日本は百済を支援して軍隊を送った。しかし,663年に唐と[ 7 ]連合軍に[ 8. ]で敗れて,朝鮮から撤退した。その後も日本は,唐に朝貢使節([ 9. ])を派遣したが,755年に勃発した[ 10. ]以降唐が衰退すると,894年に[ 9 ]は停止され,日本独自の[ 11. ]が形成された。
朝鮮半島では,新羅が衰えると,918年に[ 1. ]が[ 2. ]を都として[ 3. ]を建てた。[ 3 ]は宋の冊封を受け,科挙を採用して官僚制を整備した。国家の保護を受けて仏教がさかんとなり,[ 4. ]が木版印刷で2回刊行された。世界最古といわれる[ 5. ]がつくられ,陶磁器では宋磁にならい[ 6. ]が開発された。[ 3 ]の官僚が文班と武班に区分されていたことにちなんで,[ 7. ]と呼ばれる,官位・官職を世襲化する特権階級が形成されていった。
元が明によって北方に追いやられ,[ 1. ]が建てられると,元に服属していた[ 2. ]では親元派と親明派の対立が続いた。倭寇を破って名声を高めた親明派の[ 3. ]は[ 2 ]を倒して1392年に[ 4. ](李朝)を建て,[ 5. ](現在のソウル)に都を置いた。[ 4 ]は,明の冊封を受け,科挙と朱子学を取り入れ,明の制度にならった。15世紀前半の[ 6. ]のとき,独自の表音文字である[ 7. ]が制定され,銅活字などの金属活字による出版もさかんに行われた。高級官職を独占した特権階級である[ 8. ]が土地所有を拡大し,党争を繰り返し,政局は混乱した。
知識人は漢字を重視し,[ 7 ]を軽視した。1910~45年の日本統治下で,[ 7 ]が学校教育でも教えられるようになって広く使われるようになった。