賠償問題

「賠償問題」の一問一答問題です。

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VII-17. 賠償問題(1)-ルール占領-

ドイツが払うべき賠償金はヴェルサイユ条約では金額が未定だったが,1921年に1320億金マルクという莫大な額に決定された。支払い能力のないドイツが賠償支払いを遅延したということを口実に,フランス・両軍は23年に工業地帯を占領した。ドイツの労働者はストライキなどの「消極的抵抗」で対抗したため,フランス・[ 1 ]両国は成果を得られず,24年に新賠償方式案が成立すると,翌25年にフランス・[ 1 ]両軍は撤退した。
check_icon6自由放任主義を批判する修正資本主義を唱えたイギリスの経済学者ケインズは,賠償額を決める会議においてイギリス側の代表であったが,経済学者としての立場から妥当な金額は約400億金マルクであると計算した。だが,会議ではそれ以上の過大な額が決められる流れとなり,彼は代表を辞任した。ケインズは過大な賠償金が課せられるならば,次の戦争の火種になると警告を発していた。

VII-18. 賠償問題(2)-ドーズ案-

1923年におきた・ベルギー両軍によるを受けて,アメリカの銀行家を長とする委員会が開かれ,新賠償方式([ 3 ]案)が1924年成立した。[ 3 ]案では,賠償総額と支払期限には触れず,5年間の支払い年額を決めるとともに,多額のアメリカ資本をドイツに提供することが決定された。この結果,ドイツは経済危機を脱し,賠償金を得たイギリスやフランスがアメリカにを支払うという資本の国際的循環が形成された。
check_icon6[ 3 ]案は独仏の和解に貢献し,25年に[ 2 ]は終了し,さらに条約が締結された。

VII-19. 賠償問題(3)

1924年に成立した案は5年間の暫定案だったので,29年にアメリカの実業家を長とする委員会で新案([ 2 ]案)が作成された。[ 2 ]案では,以後59年間で約358億金マルクを支払うこととし,賠償総額を大幅に減額した(30年実施)。だが,29年から始まったはドイツを襲い,[ 2 ]案による支払いも不可能となったため,アメリカ大統領は31年に賠償支払いの1年間停止([ 4 ]=モラトリアム)を宣言したが,効果はなかった。[ 4 ]=モラトリアムが切れたことを受けて,32年にローザンヌ会議が開かれて賠償総額が30億金マルクに減額されたが,33年に政権を握ったは不払いを宣言した。