ローマ社会の変質

「ローマ社会の変質」の一問一答問題です。

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II-6. ローマ社会の変質(1)

前287年の法制定以後に,(執政官)職を経験した上層の(平民)は,(貴族)と一体化して,新しい支配層である(新貴族)を形成した。また,イタリア半島以外のローマの征服地であるの徴税請負や公共土木工事で莫大な財を築いた(エクイテス)が新たな階層として登場した。一方,ローマの地中海進出の過程で戦争に従軍した中小農民の土地は荒廃し,没落した農民の多くがローマに流入し,「パンと見世物」を要求する遊民と化した。

II-7. ローマ社会の変質(2)

ポエニ戦争などによる急速な領土拡大はローマ社会を変質させていった。イタリア半島以外のローマの征服地であるを統治する元老院議員や,[ 1 ]の徴税請負を行う(エクイテス)は,[ 1 ]の拡大によって広がった公有地を私有地化したり,没落した農民の土地を買い占めて大土地所有者となり,戦争捕虜であるを多数使用して,オリーブ・ブドウなどの商品作物を作るを経営するようになった。
check_icon6シチリア島では,[ 4 ]の奴隷が2度にわたって奴隷反乱を起こした(前135-前132,前104-前100)。

II-8. 大土地所有への抵抗

中小農民が没落して軍事力が低下することに危機感を抱いたは,前2世紀後半にあいついでになり,公有地占有の制限規定がある,前367年に制定された法を復活して,大土地所有者の土地を没収して,無産市民に分配しようと試みた。だが,この改革は元老院の反対にあい,挫折した。この改革以降ローマは,有力者が無産市民を集めて私兵として争う混乱した「」に突入した。

II-9. 「内乱の1世紀」

民会を足がかりに,民衆を支持基盤とする(ポプラレス)の代表であると,元老院中心の体制を維持しようとする(オプティマテス)を代表するがたがいに私兵を率いて争った。また,市民権を与えられていなかったイタリア半島のが市民権を求めて戦争を起こした([ 5 ]戦争:前91-前88)。さらに,見世物として真剣勝負を行っていたがに率いられて反乱(前73-前71)を起こした。
check_icon6(1)グラックス兄弟の改革以降,アウグストゥスによる元首政の成立までの混乱期を「内乱の1世紀」と呼ぶ。(2)[ 2 ]派を破った[ 4 ]は一時独裁を行ったが,自ら引退した。

II-10. 独裁への道(1)

元老院が指導する共和政が機能しなくなってきたのに対して,年に3人の実力者が元老院に対抗して私的な政治同盟を結んで,第1回を実現した。そのうちの一人が東方のとの戦いで戦死すると,が元老院に接近し,遠征で富を築いたと対立するようになった。その後,[ 5 ]を破った[ 7 ]が独裁を行った。

II-11. 独裁への道(2)

を打倒してエジプトから帰国したカエサルは独裁を進め,終身の(独裁官)となった。を無視して独裁を進めるカエサルは,らの共和主義者によって,年に暗殺された。
check_icon6カエサルはエジプトの太陽暦をもとに,暦を制定した。現行の太陽暦は,[ 6 ]暦をもとに16世紀後半に制定されたグレゴリウス暦である。なお,ロシア革命の項で出てくるロシア暦とは,[ 6 ]暦のことである。

II-12. 独裁への道(3)

カエサル暗殺後,カエサルの部下とレピドゥス,カエサルの養子の3人による第2回が行われた。レピドゥスが失脚したのち,朝エジプトの女王と同盟した[ 1 ]を年のの海戦で破った[ 2 ]は,前30年に[ 4 ]朝を滅ぼしてエジプトを属州とし,地中海世界を統一した。