19世紀文化

「19世紀文化」の一問一答問題です。

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V-114. 世界の一体化

19世紀半ば以降,ヨーロッパが主導して世界を相互に結びつける「世界の一体化」が進行した。背景には,ヨーロッパにおける資本主義体制の確立にともなう,人・商品・資本・情報の移動があった。年にはスエズ運河・アメリカ大陸横断鉄道が開通し,アメリカのが開発した電信機は世界の情報を結ぶ海底通信ケーブルの敷設へとつながり,情報面で世界の一体化が進む「情報革命」を生んだ。19世紀半ばにロンドンに設立された通信社ロイターは,海底通信ケーブル網を軸に20世紀初めまで国際通信の独占的地位を占めた。「情報革命」でイギリスに情報が集中し,ロンドンのシティーは貿易・金融面で世界の中心的地位を占めるようになった。

V-115. 19世紀文化-文芸・芸術の変遷-

17世紀にフランスで始まった,古代ギリシア・ローマの文化を理想とするが18世紀中期から19世紀初めにドイツで盛んになった。形式を重んじる[ 1 ]と,18世紀に支配的であった啓蒙思想に対する反発から,19世紀前半にが生まれた。啓蒙思想の理性と合理主義に対して,[ 2 ]は感情と非合理性を重視し,さらに個別の歴史や民族文化を尊重し,形式よりも内容を重んじた。[ 2 ]への反動として19世紀半ばのフランスで,客観的観察により現実を忠実に再現しようとするが現れた。それをさらに進めて,社会の矛盾や醜悪な現実をも描こうとするのがである。19世紀後半,光に関する科学的研究が深まるなか,光の変化を表現しようとするが現れた。また19世紀後半に,[ 4 ]への反発から,善悪の価値判断を避けて美を追究しようとする,イギリスのワイルドらを代表とする耽美(たんび)主義が現れた。さらに,[ 3 ]と[ 4 ]への反発として,暗示的な表現と詩句の音楽性を重視する象徴主義が生まれ,『悪の華』を著したフランスのがその先駆とされる。

V-116. 19世紀文化-古典主義:文学-

古代ギリシア・ローマを理想とする古典主義文学は,17世紀のフランスの悲劇作家・ラシーヌ,喜劇作家らによって確立された。1770~80年代のドイツでは(シュトュルム=ウント=ドランク)と呼ばれる文学運動がおき,『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』を書いたや,『ヴィルヘルム=テル』『群盗』などの戯曲を書いたが活躍した。
check_icon6フランス革命における革命戦争でフランス軍はヴァルミーの戦い(1792年)で初めて勝利を得たが,プロイセン軍の陣中にいた[ 4 ]は「ここから,そしてこの日から,世界史の新しい時代が始まる」と書き記した。

V-117. 19世紀文化-古典主義:美術-

古代ギリシア・ローマを理想とする古典主義の画家であるフランスのの作品には,ジャコバン派のマラーの暗殺現場を描いた「マラーの死」,ナポレオンのイタリア遠征を描いた「サンベルナール越えのナポレオン」や,年にとりおこなわれた皇帝戴冠式をナポレオン1世の宮廷画家として描いた「ナポレオンの戴冠式」などがある。[ 1 ]の弟子に「グランド・オダリスク」「トルコ風呂」を描いたアングルがいる。

V-118. 19世紀文化-古典主義:音楽ー

18世紀後半~19世紀初めにウィーンを中心に,それまでの音楽に代わり古典派音楽が広まった。「交響曲の父」と呼ばれた,「魔笛」「フィガロの結婚」を作曲したによって古典派音楽は確立した。交響曲「運命」「田園」「第九」を作曲したは古典派音楽を集大成し,派音楽への道を開いた。

V-119. 19世紀文化-ロマン主義:文学(1)-

感情と非合理性を重視し,個別の歴史や民族文化を尊重する派の文学者は自由主義とナショナリズムに共鳴する者が多かった。イギリスのロマン派詩人は1821~29年に戦われたに義勇兵として参戦した。『歌の本』で知られるドイツのユダヤ系ロマン派詩人は,1830年に起きたフランスのにあこがれてパリに移住したため,「革命詩人」と呼ばれる。1773年に起きたを舞台とする『大尉の娘』で知られるロシアのロマン派詩人・作家は,1825年に勃発したの青年貴族将校に共鳴した。『レ=ミゼラブル』で知られるフランスのロマン派詩人・作家は共和主義者として,の第二帝政に反対して,その期間は亡命生活を送った。

V-120. 19世紀文化-ロマン主義:文学(2)-

ドイツの言語学者は民間伝承を収集して童話を集大成した。ドイツのロマン派詩人・作家は『青い花』を書いた。イギリスのロマン派詩人は『叙情歌謡集』で知られる。『草の葉』で知られるアメリカのロマン派詩人は民主主義を讃えた。アメリカのロマン派作家ホーソンは,ピューリタン社会において姦通の罪を犯した女性を通して罪の意識を描いた『緋文字』を書いた。

V-121. 19世紀文化-ロマン主義:美術-

フランスのロマン主義画家は,1821~29年に戦われたを題材に「キオス島の虐殺」を,1830年に勃発したフランスのを題材に「民衆をみちびく自由の女神」を描いた。

V-122. 19世紀文化-ロマン主義:音楽-

オーストリアのロマン派作曲家は「冬の旅」「未完成交響曲」などで知られる。ポーランドのロマン派作曲家は,1830年におきたワルシャワ蜂起の失敗の報を聞いて,ピアノ練習曲(エチュード)「革命」を作曲した。ドイツのロマン派作曲家は音楽と演劇を一体化した楽劇を創始し,ゲルマンの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』を素材に「ニーベルングの指輪」を作曲した。ハンガリーのロマン派作曲家リストは,「ハンガリー狂詩曲」を作曲した。
check_icon6リストには同姓で,ドイツ関税同盟を提唱した歴史学派経済学者がいる。ただし,名は異なっており,音楽家はフランツ,経済学者はフリードリヒである。

V-123. 19世紀文化-写実主義:文学-

ナポレオン軍の軍人としてロシア(モスクワ)遠征にも参加したことでも知られる,フランスの写実主義の先駆的作家は『赤と黒』を書いた。フランスの写実主義作家は『人間喜劇』を書いた。『ボヴァリー夫人』を書いたフランスのは,フランス写実主義文学を確立した。イギリスの写実主義作家は『二都物語』を著した。

V-124. 19世紀文化-写実主義:絵画-

「石割り」で知られるフランスの写実主義画家は,1871年にできた革命的自治政権に参加して投獄され,のちにスイスに亡命した。なお,「石割り」は第二次世界大戦中の1945年2月のドレスデン大空襲で焼失した。また,写実主義の画家・版画家のドーミエは共和主義の立場から,政治や社会を風刺し,七月王政の国王を風刺したことで投獄された。

V-125. 19世紀文化-自然主義-

『居酒屋』などで知られるフランスの自然主義作家は,ユダヤ系軍人に対する冤罪(えんざい)事件である事件で[ 2 ]を擁護し,軍部とカトリック教会を批判した。フランスの自然主義作家は『女の一生』を書いた。ノルウェーの自然主義劇作家は,女性解放問題を題材とした『人形の家』を書いた。フランスの自然主義の画家は農民の姿を描いた「落ち穂拾い」「晩鐘(ばんしょう)」で知られる。

V-126. 19世紀文化-印象派-

「草上の昼食」を描いたは印象派の創始者とされる。フランスの印象派を代表する画家が描いた「印象・日の出」が印象派の語源となった。[ 2 ]は晩年に連作「睡蓮」を描いた。フランスの印象派画家は「ムーラン=ド=ラ=ギャレット」で知られる。フランス後期印象派の画家は,南太平洋のタヒチ島に移り住み,「タヒチの女」を描いた。「ひまわり」「糸杉」で知られるは,オランダ出身の後期印象派の画家である。「牧神の午後への前奏曲」や「海」で知られるフランスの作曲家は印象派音楽を創始した。
check_icon6[ 1 ]と[ 2 ]は一字違い。注意しよう。ナポレオン3世のメキシコ出兵を題材に[ 1 ]が描いた「皇帝マクシミリアンの銃殺」は,スペインの画家ゴヤの「1808年5月3日」の構図をまねしているし,「草上の昼食」はラファエロの「パリスの審判」をまねしてるよ。「まねするマネ(関西弁なら:まねしぃのマネ)」と覚えておこう。

V-127. 19世紀文化-絵画・彫刻・音楽-

スペインの画家は,ナポレオン軍によってマドリード市民が銃殺される場面を描いた「1808年5月3日」で知られる。フランスの彫刻家は「考える人」で知られる。「わが祖国」で知られるチェコのや,「新世界から」で知られるドヴォルザークは民族主義の立場に立つ国民楽派の音楽家である。ロシアのチャイコフスキーは「白鳥の湖」「くるみ割り人形」で知られる。

V-128. 19世紀文化-ドイツ哲学-

ドイツの哲学者は,合理論と経験論を批判的に総合してを創始した。[ 2 ]は,連続講演「ドイツ国民に告ぐ」で愛国心の高揚をめざしたに継承され,ついで哲学を提唱したによって完成された。後世の社会主義運動に大きな影響を与えたは,[ 5 ]学派左派の哲学者フォイエルバッハの唯物論を批判的に継承して,[ 4 ]的唯物論を確立した。[ 6 ]は,歴史学においては史的唯物論(唯物史観)の立場で資本主義経済を分析した。

V-129. 19世紀文化-哲学・思想-

イギリスの哲学者は,「」を標語として,個人の幸福と社会の福利を調和させようとする哲学を創始した。[ 3 ]を発展させたは男女普通選挙法を提唱した。また,イギリスのスペンサーはダーウィンの進化論の立場から,適者生存を社会に適用する社会進化論を説いた。フランスのは,経験的事実のみに立脚するをとなえ,社会学を創始した。デンマークのキェルケゴールは哲学の先駆者とされ,「神は死んだ」と唱えたドイツの哲学者は超人思想を説いた。

V-130. 19世紀文化-経済学・歴史学・法学-

『諸国民の富』を著したによって創始された経済学の流れを引くイギリスのは,『人口論』を著し,食料増加が人口増加に追いつかないため貧困は避けられないと説いた。イギリスの[ 2 ]経済学者は,『経済学および課税の原理』を著し,労働価値説を大成した。ドイツ関税同盟を提唱したドイツの経済学者は,経済発展を歴史的に考察する歴史学派経済学の先駆者となった。史的唯物論(唯物史観)で資本主義社会を分析したドイツのは,『』を著した。ドイツの歴史家は,厳密な史料批判にもとづく近代歴史学の基礎を確立した。ドイツの法学者サヴィニーは,法の歴史性・民族性を強調するを創始した。

V-131. 19世紀文化-自然科学-

物理学では,ドイツのとヘルムホルツがを提唱した。イギリスのは電磁誘導現象を発見し,電磁気学の基礎を築いた。ドイツのはX線を発見し,キュリー夫妻(夫はフランス出身,妻はポーランド出身)は放射性元素を発見した。生物学では,イギリスのが1859年に『種の起源』でを提唱すると,社会科学の諸分野に大きな影響を与えた。オーストリアのメンデルは遺伝の法則を発見した。医学では細菌学や予防医学が発展し,フランスのは狂犬病の予防接種に成功した。ドイツのは結核菌・コレラ菌などを発見した。

V-132. 19世紀文化-科学技術-

スウェーデンのはダイナマイトを発明し,彼の遺産を基金にして[ 1 ]賞が創設された。アメリカのは電信機とモールス信号を発明した。アメリカのは電話機を発明した。アメリカの発明家は,蓄音機・電灯・映画などを発明した。イタリアのは無線電信を発明した。ドイツのは,[ 6 ]=エンジンを完成させた。現在の自動車エンジンの原型となる内燃機関はドイツの機械技術者が1883年に発明し,86年にガソリン自動車を完成させた。アメリカのは,1903年に動力飛行機の飛行に初めて成功し,飛行機は第一次世界大戦・第二次世界大戦で兵器として急速に発達した。

V-133. 探検

17世紀にオランダの航海者タスマンは,タスマニア・ニュージーランド・フィジーに到達し,オーストラリア沿岸を探検した。18世紀にイギリスの探検家は太平洋のほぼ全域を探検し,オーストラリアのイギリス領有を宣言した。アフリカの内陸部は,19世紀半ばまではヨーロッパにとって未知の地域であったが,イギリス宣教師と彼を捜索にいったアメリカのジャーナリストの探検により,大陸内部の状況が明らかになった。南極・北極の極地探検も展開された。1909年,アメリカのが北極点に初到達した。1911年,ノルウェーのが南極点に初めて到達し,それより1カ月遅れてイギリスのが南極点に到達した。スウェーデンのは中央アジアを探検し,楼蘭(ろうらん)の遺跡を発掘した。イギリスのスタインは,敦煌などを調査した。
check_icon6[ 4 ],[ 5 ],[ 6 ]は頭の文字をとって,「ピアリのピアス」と覚えておこう。