V-74. 二月革命(1)
1830年の[ 1. ]革命以降に産業革命が本格化したフランスでは,[ 1 ]王政下で選挙権を与えられていなかった中小資本家や労働者が改革宴会と称する普通選挙を求める選挙法改正運動を行った。政府が改革宴会を禁止すると,[ 2. ]年に[ 3. ]革命が勃発した。国王[ 4. ]はイギリスに亡命し,社会主義者[ 5. ]も加わる臨時政府が樹立された([ 6. ]共和政)。臨時政府は,男性普通選挙法を実現したほか,失業者救済のための[ 7. ]も設置された。
「1848年革命」の一問一答問題です。
1830年の[ 1. ]革命以降に産業革命が本格化したフランスでは,[ 1 ]王政下で選挙権を与えられていなかった中小資本家や労働者が改革宴会と称する普通選挙を求める選挙法改正運動を行った。政府が改革宴会を禁止すると,[ 2. ]年に[ 3. ]革命が勃発した。国王[ 4. ]はイギリスに亡命し,社会主義者[ 5. ]も加わる臨時政府が樹立された([ 6. ]共和政)。臨時政府は,男性普通選挙法を実現したほか,失業者救済のための[ 7. ]も設置された。
1848年4月に男性普通選挙制による選挙が行われると,農民が社会主義政策で土地を失うことを恐れたため,社会主義者は大敗し,穏健共和派の政府が成立した。これに対して労働者が蜂起した([ 1. ])が,鎮圧された。同年12月の大統領選挙では,ナポレオン1世の甥に当たる[ 2. ]がロマン派詩人のラマルティーヌらを破って当選した。1851年に[ 2 ]はクーデタを起こして独裁権を握り,翌52年に[ 3. ]で皇帝となって[ 4. ]と称した。
二月革命では「3人のルイ」が登場することに注意。退位した王がルイ=フィリップ,臨時政府に入閣した社会主義者がルイ=ブラン,大統領に当選したのがルイ=ナポレオンである。
1848年にフランスで起きた[ 1. ]革命は,ロシアを除くヨーロッパ各地に波及し,自由主義・ナショナリズム,さらには社会主義の運動が拡大する契機となった。西欧諸国では自由主義ブルジョワジー優位の社会へと向かっていったのに対し,東欧地域では民族主義に基づく民族自立が目標となった。また,労働者階級と社会主義運動も有力な政治勢力として台頭した。この一連の動きを,[ 2. ]年革命という。さらに,ヨーロッパ各地で1848年の春に自由主義とナショナリズムの運動が高揚したことを「[ 3. ]」と呼ぶ。
1848年にフランスで起きた[ 1. ]革命の影響で,ウィーンとベルリンで3月に蜂起が起き([ 2. ]革命),[ 3. ]体制を支えてきたオーストリア宰相[ 4. ]がイギリスに亡命して[ 3 ]体制が崩壊した。ドイツの[ 2 ]革命には3つの側面がある。(1)憲法制定などの[ 5. ]改革を求めたが,保守派が勢力を回復して失敗に終わった。(2)[ 5 ]者によるドイツの統一運動。[ 6. ]が開かれたが,ドイツ皇帝に推した[ 7. ]王の拒否にあい,49年に武力弾圧で解散させられた。(3)オーストリア帝国内の民族運動。ハンガリー,ベーメン(ボヘミア),北イタリアで民族運動が激化したが,鎮圧された。
1848年のドイツ[ 1. ]革命では,[ 2. ]の諸邦から成年男性の普通選挙で選ばれた議員からなる[ 3. ]が開かれた。議員は,学者・高級官吏・ブルジョワジーを中心とする[ 4. ]主義者が多かった。[ 3 ]では,ドイツの統一と憲法制定が議論された。だが,オーストリア中心にドイツ統一を実現しようとする[ 5. ]主義と,プロイセン中心に統一を実現しようとする[ 6. ]主義が対立して紛糾した。翌49年に[ 6 ]主義が勝利し,[ 4 ]主義的憲法を採択した上でプロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム4世にドイツ皇帝への就任を要請したが,[ 4 ]主義者が多数を占める国民議会の要請は受けられないとして拒否された。こうして,[ 4 ]主義者による統一運動は挫折し,国民議会も解散させられた。
ハンガリーでは1849年に,[ 1. ]がオーストリアからの独立を宣言したが,[ 2. ]軍の援助を受けたオーストリア軍によって鎮圧された。ベーメン(ボヘミア)では,1848年に[ 3. ]人がオーストリアからの独立を求めて蜂起したが,オーストリア軍に鎮圧された。北イタリアでは,ミラノ・ヴェネツィアでオーストリアに対する暴動が起きたのを背景に,[ 4. ]王国がイタリア統一を目指しオーストリアと戦ったが,オーストリア軍に大敗した。中部イタリアでは1849年に,「[ 5. ]」の[ 6. ]が[ 7. ]を樹立したが,教皇の要請を受けたフランス軍により鎮圧された。
18世紀末にポーランド分割反対闘争を行ったコシューシコと,ハンガリー独立運動指導者コシュートを混同しないように。