封建社会の変容

「封建社会の変容」の一問一答問題です。

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III-28. 封建社会の安定と成長

11世紀ころに農業生産力が増大し,封建社会は300年ほど続く安定と成長の時代に入った。それをもたらした技術的革新には,水車の改良,鉄製農具の普及,牛や馬に引かせる,そして耕地を春耕地・秋耕地・休耕地に3分して3年周期で利用するがあった。耕地は細長い地条にわかれており,農民に貸与される保有地は,各耕地に分散してあった。だが,耕地を保有者ごとに垣などで仕切ると共同作業が行いにくいので,耕地の仕切りはなかった。これをという。耕地を牛馬に引かせて[ 1 ]で耕す農作業は共同で行われ,農民の結びつきを強めた。
check_icon6封建社会が安定してくると,民衆の聖地巡礼熱が高まった。イェルサレム,ローマ,それとイベリア半島西北部のが三大巡礼地として人気があった。

III-29. 西ヨーロッパの膨張

11~13世紀における農業生産力の増大を背景に,西ヨーロッパは内外に拡大し始めた。派修道会による開墾運動,の干拓,川以東のスラヴ人居住地などへドイツ人が植民する,イベリア半島における対イスラーム戦である(レコンキスタ),そして聖地を回復する聖戦であるが行われた。
check_icon6東方植民では,十字軍の際に結成された宗教騎士団であるが活躍し,[ 7 ]領はのちにプロイセンへと発展する。

III-30. 十字軍(1)

十字軍のきっかけは,トルコ系イスラーム王朝である朝の進出にあった。聖地を支配下に置いた[ 1 ]朝は小アジアに侵入してビザンツ帝国を脅かした。圧迫を受けたビザンツ皇帝がローマ教皇に救援を要請したことに対して,教皇は年に公会議を開催して,聖地[ 2 ]を回復する聖戦を起こすことを呼びかけた。翌1096年に第1回十字軍が出発し,その後,約年にわたり十字軍が行われた。
check_icon67世紀の正統カリフ時代に聖地イェルサレムがイスラーム支配下に置かれたのち,イェルサレムはイスラーム支配下に置かれ続けていた。

III-31. 十字軍(2)

年に始まった第1回十字軍は聖地を占領して王国を建てた。12世紀後半にアイユーブ朝を建てたが聖地を奪還したのに対し,神聖ローマ皇帝・フランス王・イギリス王が参加する第回十字軍が起こされたが,失敗した。教皇の絶頂期を築いたが提唱した第回十字軍は,商人の要求で,聖地に向かわず,その商業上のライバルであるを攻撃して帝国を建てた。フランス王は単独で十字軍を起こし,第6回はエジプトを,第7回はチュニスを攻撃したが,[ 13 ]は陣中で病死した。聖地回復の目的は結局達成されず,1291年に十字軍最後の拠点がマムルーク朝により陥落させられ,十字軍は最終的に終結した。
check_icon6シチリア王を兼ねていた神聖ローマ皇帝は破門されたまま十字軍を行い,外交交渉でイェルサレムを回復した。この十字軍を第6回十字軍とする見解もあるが,高校の世界史では第6回十字軍は[ 13 ]のものをさす。

III-32. 十字軍の影響

遠征の失敗により,十字軍を提唱したの権威は揺らぎ始めた。それに対して,参加して戦死した諸侯や騎士の所領を没収したが権力を伸ばした。十字軍の輸送は地中海貿易を活発化させ,イタリア諸都市の繁栄をもたらし,貨幣経済を普及させた。また,先進文明圏のビザンツやイスラーム圏からギリシアの古典がもたらされ,ラテン語に翻訳された結果,学問が発達した。これは,と呼ばれる。さらに,十字軍に際し,ヨハネ騎士団・テンプル騎士団・などのが結成された。[ 4 ]は十字軍後,川以東のスラヴ人居住地へのに活躍し,その地はのちのプロイセンのもととなった。

III-33. 商業の復活

封建社会が安定して農業生産力が増大すると,が交換されるようになり,都市と商業がふたたび盛んになり始めた。貨幣経済も復活し,十字軍の影響で交通が発達すると,ヨーロッパ全体を商業圏とする遠隔地貿易も行われるようになった。~世紀に起きたこのような現象を,と呼ぶ。

III-34. 遠隔地商業

地中海商業圏では,「アドリア海の女王」と呼ばれたやジェノヴァなどの港市が(レヴァント貿易)により,や南ドイツ産のを輸出し,ビザンツ帝国やムスリム(イスラーム)商人から・絹織物などの奢侈品を得た。また,内陸都市であるフィレンツェは金融業と[ 3 ]工業で栄えた。北海・海の北欧商業圏では,を盟主とする同盟諸都市が,海産物・木材・穀物などの必需品を取引した。これら二つの商業圏を結ぶ交易網も発達し,フランスの地方で定期市が開かれた。また,ガン・ブリュージュなどの地方の都市は,イギリスから輸入した羊毛を用いた[ 3 ]生産で栄えた。

III-35. 中世都市(1)

中世都市は最初は封建領主の保護と支配を受けていたが,力をつけた都市は自力で領主権力を排除したり,国王や皇帝からを得て,を獲得した。[ 2 ]を得た中世都市は,城壁を持ち,軍事力も有していた。ドイツでは,皇帝から[ 1 ]を得た都市はとして,諸侯と同等の地位を獲得した。北イタリアでは,領主支配を脱した自治都市()が周辺の農村を支配して,都市国家として独立した。
check_icon6「都市の空気は自由にする」ということわざがあるように,農奴が都市に逃れて一定期間住んだ場合は,農奴身分から解放された。

III-36. 中世都市(2)

共通の利害をもつ諸都市が都市同盟を結成することもあった。ミラノを中心とする北イタリアの諸都市は,神聖ローマ皇帝のに対抗して同盟を結成した。北ドイツ諸都市は,を盟主として同盟を結成し,陸海軍を保有して北海・海の商業圏を支配した。上層市民の中には,南ドイツ産の銀を独占したの家や,フィレンツェの家のように教皇や皇帝などの影響力を及ぼす者も現れた。

III-37. ギルド

中世都市の商人や手工業者はと呼ばれる同業組合を組織した。[ 1 ]は,自由競争を禁じ,品質・価格などを厳しく規制し,非組合員の参入を拒んだ。はじめ市政を独占したのは商人[ 1 ]であったが,これに不満を持つ手工業者は(ツンフト)を組織し,商人[ 1 ]と争いながら市政への参加を勝ち取った(ツンフト闘争)。[ 2 ]には,・職人・という厳格な身分序列があり,[ 3 ]のみが正規の構成員であった。

III-38. 「封建制の危機」

11~13世紀に商業と都市が発展し,経済が浸透すると,荘園制がくずれ始めた。領主は[ 1 ]を手っ取り早く手に入れるために,農奴に課していたをやめて,を分割して農民に貸し与え,生産物や[ 1 ]で地代を納めさせるようになった。農民は地代の残りをたくわえて,経済的に力をつけていった。14世紀に入ると,世界的に寒冷化が進み,西ヨーロッパにおいても天候不順による穀物の不作と飢饉をもたらした。また,(ペスト)の流行や,あいつぐ戦乱で農業人口が減少すると,農民の地位はさらに高まった。[ 1 ]地代が普及していたイギリスでは,農奴身分から脱して,少額の地代を払うだけで身分的には自由な(ヨーマン)となる者が多かった。
check_icon614世紀には,ユーラシア全域で大きな変動がみられる(参照:IX-91)。これらを合わせ,「14世紀の危機」ともいう。

III-39. 封建反動と農民一揆

14世紀に始まる「封建制の危機」において,経済的に困窮した領主はふたたび農民への束縛を強化しようとした。これをと呼ぶ。農民たちはこれに反抗し,農民一揆を起こした。フランスでは1358年にの乱,イギリスでは1381年にの乱が勃発した。イギリスの[ 3 ]の乱では,が,「アダムが耕し,イヴが紡(つむ)いだとき,だれが貴族(領主)だったか」と説いて,封建社会の身分制を批判した。
check_icon6英仏の農民反乱はともに,英仏間で戦われた戦争期間中に勃発している。