ヨーロッパの海外進出

「ヨーロッパの海外進出」の一問一答問題です。

12件の記事

0 / 81 件の答えを表示中

IV-78. ポルトガルのアジア進出

インド航路を開拓したポルトガルは,1510年にインドのを占領して,アジア貿易の拠点とした。1511年には,東南アジア最初の本格的なイスラーム王国であった王国を滅ぼし,[ 2 ]を支配下に置いた。さらにポルトガルは,香料諸島とよばれる諸島に到達したが,マゼランの部下たちが[ 3 ]諸島に来航すると争奪の的となった。その後,[ 3 ]諸島はポルトガル・スペインとの間で結ばれた1529年のサラゴサ条約でポルトガルの支配下に置かれた。さらに,ポルトガルは1557年にの居住権を得て,対明貿易の拠点とした。1543年にはポルトガル人の船がに漂着したのをきっかけに平戸に来航し,17世紀初めまで日本と通商関係をもった。

IV-79. スペインのアジア進出

スペイン国王の命を受け,西周りでモルッカ諸島を目指していたがに到達したことをきっかけに,スペインは[ 3 ]を植民地とした。スペインは,メキシコのアカプルコ,[ 3 ]のと中国を結ぶ交易で,中国の絹・陶磁器を手に入れた。
check_icon6スペイン・ポルトガル人がもたらすメキシコ銀・日本銀が中国で流通するようになって,明代後期に税を銀で納めさせる一条鞭法が実施された。なお,明は海禁策をとっており,民間貿易は制限していたため,密貿易で銀は流入した。その密貿易を行ったのが,中国人を中心として,スペイン・ポルトガル人も含む16世紀からの後期倭寇である。

IV-80. オランダのアジア進出

オランダは1602年に会社を設立し,ジャワの(現在のジャカルタ)に拠点を置いた。1641年には,ポルトガルを排除してマラッカを占領した。また,1623年の事件を機にイギリスを諸島から追放して,香辛料貿易を独占した。オランダは一時,台湾を支配したが,に奪われた。オランダは,アフリカ南端に植民地を築き,アジアへの中継地とした。

IV-81. イギリスのアジア進出

イギリスは,1623年の事件をきっかけにインドネシアから閉め出されたのち,インド経営に力を注いだ。イギリスは,インド西岸の(現在のムンバイ),インド東南部の(現在のチェンナイ),ガンジス川下流の(現在のコルカタ)を拠点として,通商活動を展開した。17世紀後半に行われた3回の戦争に勝利して,17世紀末にはイギリスは世界貿易の覇権を握った。これに挑戦してきたのがフランスであるが,1世紀以上に及ぶ植民地争奪戦でフランスを退けた。
check_icon6地名を覚える時は,位置関係を意識して覚えること。ボンベイ・マドラス・カルカッタは反時計回りの順である。

IV-82. フランスのアジア進出

フランスは,1604年に会社を創設したが,まもなく活動を停止した。ルイ14世の財務総監は[ 1 ]会社を再建してインドに進出し,イギリスの拠点マドラスの近くに,イギリスの拠点カルカッタの近くにを建設してイギリスと対抗した。だが,1757年にカルカッタ北方で戦われた,の戦いでフランスはイギリスに敗北し,インドにおけるイギリスの優位が確定した。

IV-83. 西欧諸国のアメリカ進出

中南米の大半はが支配したが,ブラジルはが支配した。オランダは,北アメリカ東岸に植民地を建設し,中心都市としてを建設した。航海法制定を契機に,17世紀後半に戦われた戦争で,[ 3 ]植民地はイギリスにうばわれ,[ 4 ]はと改称された。フランスはカナダに進出してを建設するとともに,ルイ14世の時代に川流域にを建設した。イギリスは17世紀初頭,北アメリカ東岸に最初の植民地を建設した。1620年にメイフラワー号で北米にやってきたと呼ばれるピューリタンを中心とする人々が,北アメリカに移住して,植民地が形成された。イギリスは,18世紀前半までに北米における植民地を建設した。

IV-84. 英仏の覇権争い(1):第2次英仏百年戦争

17世紀後半から19世紀初頭まで英仏は植民地をめぐり,1世紀以上にわたる激しい戦争を繰り返したため,第2次英仏百年戦争と呼ばれる。始まりとされる戦争はウィリアム王戦争であるが,この戦争はヨーロッパで1688年に始まった(アウクスブルク同盟戦争)と連動している。最後とされるのは,19世紀初頭に終結するである。

IV-85. 英仏の覇権争い(2)

18世紀の英仏は,ヨーロッパにおける戦争と植民地をめぐる戦争を並行して戦った。(1)ヨーロッパでの(1688-97年):北米におけるウィリアム王戦争(1689-97年)。(2)ヨーロッパでの(1701-13年):北米におけるアン女王戦争(1702-13年)。(3)ヨーロッパでの(1740-48年):北米におけるジョージ王戦争(1744-48年):インドにおけるカーナティック戦争(1744年から1761年まで3次に渡る)(4)ヨーロッパでの(1756-63年):北米における:インドにおける1757年のの戦い。これらの18世紀の戦いに勝利したイギリスは,1763年のでイギリス植民地帝国の基礎を確立した。

IV-86. 英仏の覇権争い(3):スペイン継承戦争

1700年にスペインの家が断絶した時,フランス国王の孫がとして王位を継いだ。これに反発したイギリス・オランダ・オーストリアなどがフランス・スペインと戦ったのが,年に始まった戦争である。北米におけるアン女王戦争でも苦戦を強いられたフランスは,年に講和条約条約を結んだ。[ 7 ]条約の内容は以下の通り。(1)スペイン・フランスが合同しないという条件で[ 3 ]のスペイン王位継承は認められた。(2)イギリスはスペインから・ミノルカ島を獲得。(3)北米において,イギリスはフランスから・アカディア・ハドソン湾地方を獲得。

IV-87. 英仏の覇権争い(4):七年戦争

フランスの家とオーストリアの家が同盟を結んだを背景に,年に勃発した戦争,およびそれと並行して戦われた北米での植民地戦争である戦争に勝利したイギリスは年に条約を結んだ。[ 8 ]条約の内容は以下の通り。(1)イギリスはフランスからと川以東の・西インド諸島の一部を獲得。(2)イギリスはスペインからを獲得。(3)[ 10 ]川以西の[ 11 ]はフランスがスペインに譲渡し,フランスは北アメリカにおける領土をすべて失った。ここにイギリスの植民地帝国の基礎が確立した。

IV-88. 大西洋三角貿易と奴隷貿易

スペインはラテンアメリカに広大な植民地を保有していたが,奴隷供給地のに拠点がなかったため,アシエントと呼ばれる奴隷供給契約を外国商人と結んだ。[ 1 ]に拠点を持つ,ポルトガル・フランス・イギリスがアシエントをめぐり争奪戦を展開したが,スペイン継承戦争(1701-13年)の講和条約である条約で,アシエントをイギリスが得て,イギリスのが奴隷貿易で繁栄した。この奴隷貿易は大西洋三角貿易の一環として行われた。この三角貿易では,ヨーロッパからや雑貨を[ 1 ]の王国などに送り,それと交換にえた黒人奴隷をアメリカ大陸・諸島に送り,(大農園)でつくった・綿花・タバコなどをヨーロッパに持ち帰った。

IV-89. 大西洋三角貿易の影響

大西洋三角貿易でアメリカ大陸や諸島からもたらされたやコーヒー,またアジアからもたらされた綿織物や茶などはヨーロッパ人の消費生活を大きく変え,17~18世紀にヨーロッパで「生活革命」がおきた。イギリスでは,がつくられ,都市住民の社交場としてだけでなく,種々の情報があつまる重要な情報センターの役割も果たした。また,大西洋三角貿易で繁栄したイギリスの・ブリストルには資本が蓄積され,産業革命を準備した。さらに,大西洋三角貿易でもたらされる綿花は,産業革命における綿工業の原料を供給した。一方,黒人奴隷を供給した社会は深刻な打撃を受けた。