ユグノー戦争とフランス絶対王政

「ユグノー戦争とフランス絶対王政」の一問一答問題です。

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IV-58. ユグノー戦争(1)

フランスでは,宗教改革の影響を受けて16世紀後半に,貴族や商工業者の間に,と呼ばれるカルヴァン派が増え,カトリック教徒との対立が深まった。両派の対立は,国王と母親の摂政のもと,1562年に[ 1 ]戦争と呼ばれる宗教戦争に発展した。この内乱では,カトリック側をが,プロテスタント側をが支援して,30年以上続いた。

IV-59. ユグノー戦争(2)

1562年に勃発したユグノー戦争は,カトリック側がプロテスタント側を虐殺した年のでさらに深刻化した。年に,朝が断絶し,家のが王位について[ 5 ]朝を開いた。[ 6 ]はユグノーからカトリックに改宗し,の王令(勅令)を発して,ユグノーに信仰の自由を認めた。この結果,内乱は終結に向かい,フランスは国家としてのまとまりを求める方向へ踏み出した。
check_icon6神聖ローマ帝国において1555年に出されたは,諸侯がカトリックかルター派かを選ぶもので,個人の信仰の自由は認めていなかったことに注意!!

IV-60. フランスの絶対王政(1)

に始まるブルボン朝のもとで,フランス絶対王政は全盛期を迎える。次の王は,身分制議会であるの召集を停止し,を宰相とした。[ 4 ]は王権に抵抗する貴族やユグノーを抑え,国際政治の面では家に対抗するために新教側に立ってドイツの戦争に介入した。次の王が幼少で即位すると,が宰相となった。[ 8 ]も貴族やユグノーの勢力を抑えて王権の強化をはかったため,高等法院を中心とする貴族が年にの乱をおこしたが,反乱は鎮圧された。
check_icon6フロンドの乱がおきたときに,イギリスではピューリタン革命が進行していたことに注意。

IV-61. フランスの絶対王政(2)

宰相マザランがなくなると,は年に親政を開始し,強大な権力をふるって,「」と呼ばれた。[ 1 ]はを唱えて,「」と主張し,様式の宮殿を造営した。[ 1 ]は,を財務総監に登用し,政策([ 8 ]主義)によって,国内産業の保護育成と王権の財政基盤の確立をめざした。
check_icon6東アジアでは,1661年に清の康煕帝が即位し,鄭氏台湾が成立した。

IV-62. フランスの絶対王政(3)

ルイ14世が年にユグノーに信仰の自由を認めたの王令を廃止すると,商工業をになっていたユグノーたちがイギリスやオランダに亡命し,フランスは経済的な打撃をこうむった。ルイ14世は,ファルツ戦争(1688-97年)や,1701-13年に戦われた戦争などの度重なる対外戦争を行ったが,得るものは少なく,財政を悪化させた。1715年にルイ14世の曾孫のが王位に就いたが,イギリスとの覇権争いに敗れ,深刻な財政危機に直面するようになった。