ペルシア戦争とアテネの発展

「ペルシア戦争とアテネの発展」の一問一答問題です。

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I-10. ペルシア戦争

を中心とする植民市が,朝ペルシアの支配に対して起こした反乱をアテネが支援したことから始まった戦争。[ 3 ]朝第3代のが遠征を開始した。前年のの戦いでアテネの軍がペルシア軍を破った。前年のの海戦では,率いるギリシア艦隊がペルシア艦隊を撃破。前479年のの戦いでギリシア側の勝利が確定した。これにより,ギリシアはポリスの自由と独立を守った。
check_icon6[ 9 ]の海戦で活躍したギリシアの船はである。図版で,どのような船かも確認しておこう。

I-11. アテネ

人がアッティカ地方に建設した型のポリス。(城山)にはアテネの守護神であるアテナ女神をまつる神殿がある。この神殿は,ペルシア戦争で破壊されたが,アテネの最盛期を築いたの命で再建された。総監督を務めたのは「アテナ女神像」をつくったことで知られるである。
check_icon6パルテノン神殿はイオニア人のポリスであるアテネの神殿であるが,建築様式はドーリア式である。

I-12. アテネの政治的発展(1)

商工業が発達して武具が安くなると,富裕な平民が武器を自分で買ってとして戦争に参加するようになった。その結果,貴族政が動揺し始めた。前7世紀後半にが慣習法を成文化して,貴族による法の独占を打破した。前年に「調停者」に選ばれたが改革を行い,負債の帳消しを行い,借財が返済できない際に奴隷とされるを禁止して平民を保護した。また,血統ではなく財産額によって権利と義務を定めたを始めた。だが,貴族と平民の対立は解消できず,前6世紀半ばに非合法的に政権を握ったであるが現れた。彼は中小農民を保護して平民に人気を博したが,かれの子の代になって暴君化して追放された。

I-13. アテネの政治的発展(2)

暴君化したの出現を防止するの制度が前508年にによってつくられた。彼はまた,貴族に有利だったそれまでの4部族制を,(区)にもとづく10部族制に改めて民主政の基礎を確立した。ペルシア戦争中におきた年のの海戦で,が土地などの資産を持たないをこぎ手として使ったことで参政権が拡大した。ペルシアの再攻に備えた同盟の資金を流用してアテネは繁栄するなか,のもとで民主政が完成した。
check_icon6テミストクレスはのちに[ 2 ]にあい,追放された。

I-14. アテネ民主政の特徴

アテネの民主政では,18歳以上の成年男性市民からなるが最高機関である。代議制はとらず,すべての市民が参加するである。将軍などの特別職を除いてほとんどの官職がで選ばれ,無産市民も職に就けるように日当が支給された。収賄などを行った政治家や役人は弾劾裁判にかけられて責任が追及された。
check_icon6アテネ民主政における裁判では,[ 3 ]で選ばれた人々がとなって判決を下していた。なお,女性や奴隷には参政権がないことに注意!!