I-20. ギリシア文化:宗教
ギリシア人の宗教は[ 1. ]教であった。ゼウスを主神とする[ 2. ]12神の神がみは人間と同じ姿や感情を持つとされていた。ギリシアの神がみはローマが取り込んでおり,ギリシアの美の女神アフロディテはローマではヴィーナスと呼ばれている。
「ギリシア文化とヘレニズム文化」の一問一答問題です。
ギリシア人の宗教は[ 1. ]教であった。ゼウスを主神とする[ 2. ]12神の神がみは人間と同じ姿や感情を持つとされていた。ギリシアの神がみはローマが取り込んでおり,ギリシアの美の女神アフロディテはローマではヴィーナスと呼ばれている。
叙事詩人の[ 1. ]はトロイア戦争での英雄たちの活躍を描いた『[ 2. ]』,英雄オデュッセウスの帰国までの物語『[ 3. ]』を書いた。また,叙事詩人の[ 4. ]は『労働と日々』『神統記』を書いた。レスボス島出身の[ 5. ]は女性の叙情詩人。アテネの三大悲劇詩人とは,『アガメムノン』を著した[ 6. ],『オイディプス』を著した[ 7. ],『メディア』を著した[ 8. ]の3人。ペロポネソス戦争中に戦争を風刺する『女の平和』を書いたのは,アテネの喜劇作家[ 9. ]である。
アイスキュロスは,ペルシア戦争のマラトンの戦いとサラミスの海戦に参加した。
[ 1. ]戦争をテーマとする『歴史』を著し,「歴史の父」と呼ばれるのは[ 2. ]で,神話や伝承をおりまぜて物語風に叙述した。これに対して,アテネの将軍として[ 3. ]戦争に参加したのちに追放された[ 4. ]は,[ 3 ]戦争を厳密な史料批判にもとづいて記述し,「科学的歴史記述の祖」とされる。
前6世紀にイオニアの[ 1. ]を中心に,自然現象を合理的に説明しようとする[ 2. ]がおこった。「[ 2 ]の祖」とされる[ 3. ]は万物の根源を[ 4. ]と考え,[ 5. ]は数から世界が成り立っていると考えた。[ 6. ]は変化自体を万物の根源とし,「万物は流転する」と説き,火を変化の象徴とした。万物の根源を原子(アトム)と考えたのは[ 7. ]である。
語呂合わせで,「水はタレるが,火はヘラヘラと流転し,数はピタりと,原子デモ」と覚えよう。
民主政の発達にともなって弁論術が重要になってくると,それを教える教師である[ 1. ]が登場した。「人間は万物の尺度」であるとする相対主義を説いた[ 2. ]はその代表である。これに対して,普遍的・客観的な真理が存在するとして[ 1 ]を批判したのが[ 3. ]である。彼の哲学は,アテネに学園アカデメイアを建設した[ 4. ]の[ 5. ]論に受け継がれた。[ 4 ]は師の[ 3 ]を死に追いやった民主政には批判的で,少数の哲人が統治する理想国家論を説いた。[ 4 ]の弟子[ 6. ]は,アレクサンドロス大王の師としても知られるが,古代の諸学を集大成し,「万学の祖」と呼ばれる。病気の原因を科学的に説明しようとした[ 7. ]も重要で,「医学の父」とされる。
[ 3 ]は「異教を広め,青年を堕落させた」として裁判にかけられ,甘んじて死刑判決を受け入れ,前399年に死んだ。前399年のアテネは,衆愚政治に陥り,ペロポネソス戦争に敗れた後の時代であることに注意!!
彫刻家としては,「アテナ女神象」を製作した[ 1. ]が有名である。[ 1 ]はアテネのアクロポリスにある[ 2. ]神殿の工事の監督をつとめたとされる。[ 2 ]神殿の建築様式は重厚で荘厳な[ 3. ]式である。建築様式にはほかに,優美なイオニア式,華麗で繊細なコリント式がある。
[ 1 ]はアテネの民主政を完成させた[ 4. ]と親交があった。[ 2 ]神殿は,[ 4 ]の計画で建設されたものである。
ポリス社会の崩壊とアレクサンドロスの大帝国の出現は,ポリスの枠にとらわれない[ 1. ](コスモポリタニズム)の風潮を生んだ。また,政治からの逃避と個人の内面を重視する傾向も強まり,精神の平安が最高の快楽であるとする[ 2. ]派や,[ 3. ]を祖とする,禁欲を通じて内面的幸福を追求する[ 4. ]派が信奉された。
ヘレニズム時代には自然科学が高度に発達した。プトレマイオス朝が首都の[ 1. ]に設立した[ 2. ]は大きな成果を上げた。[ 3. ]は平面幾何学を大成。[ 4. ]は地球の周の長さを計測し,[ 5. ]は太陽中心説を唱えた。浮力の原理やてこの原理を発見した,シチリア島シラクサ出身の[ 6. ]もアレクサンドリアで学んだといわれている。
ヘレニズム時代の彫刻では,美の女神アフロディテの大理石像である「[ 1. ]」や,トロイアの陥落を阻止しようとしてアテナ女神に殺されようとするトロイアの神官を題材とした「[ 2. ]」などが重要である。