VII-38. 宥和政策

ヴェルサイユ体制の破壊をすすめるドイツに対するイギリス・フランスの妥協的な態度を [ 1.宥和(ゆうわ)政策 ] と呼ぶ。その政策の背景としてまず第一に挙げられるのが,国民の戦争に対する恐怖心である。第一次世界大戦終結から20年もたっていない時期であり,国民の戦争を回避してほしいという願いは強かった。1938年にイギリス首相 [ 2.ネヴィル=チェンバレン ] [ 3.ミュンヘン会談 ] に出席して,チェコスロヴァキアを犠牲にして戦争を回避したが,イギリス国民は帰国した[ 2 ]を「英雄」として歓迎したのである。第二に,ドイツをソ連に立ち向かわせようという思惑があった。ヒトラーは『わが闘争』という著作のなかで,「ドイツの生存権は東方にある」と断言していたことから,ドイツがソ連と戦って両者が弱体化することは歓迎されることであった。