ドイツが払うべき賠償金はヴェルサイユ条約では金額が未定だったが,1921年に1320億金マルクという莫大な額に決定された。支払い能力のないドイツが賠償支払いを遅延したということを口実に,フランス・両軍は23年に工業地帯を占領した。ドイツの労働者はストライキなどの「消極的抵抗」で対抗したため,フランス・[ 1 ]両国は成果を得られず,24年に新賠償方式案が成立すると,翌25年にフランス・[ 1 ]両軍は撤退した。
自由放任主義を批判する修正資本主義を唱えたイギリスの経済学者ケインズは,賠償額を決める会議においてイギリス側の代表であったが,経済学者としての立場から妥当な金額は約400億金マルクであると計算した。だが,会議ではそれ以上の過大な額が決められる流れとなり,彼は代表を辞任した。ケインズは過大な賠償金が課せられるならば,次の戦争の火種になると警告を発していた。