西アジアのイスラーム社会は都市を中心に発達した。各地の都市には,礼拝所であるや,(学院),(アラビア語でスーク,ペルシア語でバザール)があった。[ 1 ]や[ 2 ]の建設や運営は,(寄進財産)によってまかなわれた。[ 2 ]でイスラーム諸学を修めたものはと呼ばれ,裁判官や教師,礼拝の指導者などをつとめるエリート層を構成した。[ 5 ]は学問を磨くために,イスラーム世界各地を巡り歩いたが,『三大陸周遊記』(『旅行記』)で知られるはイスラームにおける知識人である[ 5 ]の典型である。751年にアッバース朝が唐を破ったの戦いでがイスラーム世界に伝来すると,西トルキスタンのやバグダード・カイロなどに製紙工場が建てられ,やがて[ 8 ]は半島と島を経て,12世紀頃にヨーロッパに伝えられた。
[ 1 ]に付属する尖塔であるの上から,1日5回の礼拝の呼びかけ(アザーン)が行われる。