オスマン帝国の最盛期を築いたの子のセリム2世は,[ 1 ]が同盟を結んだフランスの商人に居住・通商の自由や治外法権などを認める通商特権()を認めた。セリム2世統治下の年,の海戦がおこり,スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇などの連合艦隊にオスマン海軍は敗れた。しかし,オスマン帝国の地中海における制海権に大きな変化はなく,その後もオスマン帝国はヨーロッパに対し優位を保った。1683年に行われた第2次包囲の失敗がオスマン帝国衰退のきっかけとなり,オスマン帝国とヨーロッパとの力関係は逆転した。オスマン帝国は,1699年の条約での大半をオーストリアに奪われ,さらに18世紀後半にはロシアに敗れて黒海北岸を失った。
(1)[ 2 ]は,のちにイギリスやオランダにも与えられた。もともとこの特権は,ヨーロッパを圧倒するオスマン帝国が恩恵として与えたものであったが,18世紀以降に力関係が逆転すると,ヨーロッパ諸国はオスマン帝国への侵略に利用するようになった。なおかつては,スレイマン1世がフランスに与えたのが最初であるとされていた。(2)[ 4 ]の海戦には,のちに『ドン=キホーテ』を書くスペインのが参加していた。