750年に朝が建国されると,ウマイヤ朝の一族が半島に逃れ,756年にを首都とする朝を建てた。[ 4 ]朝は[ 1 ]朝カリフの権威は尊重した。一方,10世紀に過激シーア派のイスマーイール派がチュニジアで朝を建てた。[ 5 ]朝は[ 1 ]朝カリフの権威を否定し,カリフを称し,エジプトを征服したのち首都を建設した。[ 5 ]朝がカリフを名乗ったのに対し,[ 4 ]朝の最盛期を築いたアブド=アッラフマーン3世が929年にカリフを称し,イスラーム世界には3人のカリフが並び立つ分裂状態となった。
[ 5 ]とは,ムハンマドの娘で,第4代正統カリフのの妻である。シーア派では[ 7 ]を初代イマーム(最高指導者)とし,第2代ハサン,第3代フサインの母が[ 5 ]である。