X-32. アッバース朝の成立

[ 1.ウマイヤ ] 朝に対して不満を抱いていた [ 2.シーア ] 派とアラブ人以外のイスラーム教徒である [ 3.マワーリー ] は,ムハンマドの叔父の子孫である [ 4.アッバース ] 家の革命運動に協力した。この革命運動が成功し, [ 5.750 ] 年に[ 1 ]朝は倒されて[ 4 ]朝が開かれた。[ 4 ]朝は,イラン人を中心とする [ 6.マワーリー ] を官僚として登用し,さらに民族間の税制面の不平等を解消してイスラーム帝国となった(参照:X-31)。一方[ 4 ]朝は,多数派の [ 7.スンナ ] 派を採用して,[ 2 ]派を弾圧した。第2代カリフの [ 8.マンスール ] は,中央集権体制を整備するとともに,ティグリス川西岸に首都 [ 9.バグダード ] を建設した。[ 9 ]は国際交易の中心都市として発展し,最盛期には人口100万を数えた。[ 4 ]朝は,第5代カリフの [ 10.ハールーン=アッラシード ] のときに最盛期を迎えた。
check_icon6[ 10 ]は,フランク王国のカール大帝と使節を交換した。