XI-30. ヨーロッパ諸国の東南アジアへの進出

西回りでの世界一周をめざしていた [ 1.マゼラン(マガリャンイス) ] が1521年にフィリピンに到達し,この地はのちに皇太子フェリペ(のちのフェリペ2世)にちなんでフィリピンと命名された。16世紀後半になるとスペインはフィリピンの支配をもくろみ,1571年にルソン島に [ 2.マニラ ] を建設し,フィリピン経営の拠点とした。スペイン商人はメキシコの [ 3.アカプルコ ] から[ 2 ]へ [ 4.メキシコ銀 ] を運び,中国商人が[ 2 ]に運んだ絹・ [ 5.陶磁器 ] などと交換した。東南アジアへイスラームが広がる拠点となったマレー半島南西部の [ 6.マラッカ ] は,1511年に [ 7.ポルトガル ] により占領され,1641年以降は [ 8.オランダ ] ,1824年以降は [ 9.イギリス ] が支配した。[ 8 ]は,1602年に [ 10.東インド ] 会社を設立してインドネシアへの進出を図り,1619年にジャワ島に [ 11.バタヴィア ] (現ジャカルタ)を建設し,根拠地とした。1623年の [ 12.アンボイナ ] 事件を機に, [ 13.モルッカ ] (マルク,香料)諸島からイギリス勢力を駆逐して香辛料貿易を独占した。[ 8 ]は,1755年にジャワ中部の [ 14.マタラム ] 王国を,1813年にジャワ西部の [ 15.バンテン ] 王国を,さらに20世紀初めにスマトラ島北部の [ 16.アチェ ] 王国を滅ぼした。
check_icon6[ 2 ]が建設された1571年にヨーロッパでは, [ 17.レパント ] の海戦でオスマン海軍が敗北した。