中国が唐末五代の混乱期に入ると,ベトナムでも自立の動きが強まった。ベトナムは,10世紀後半に独立し,1009年にが成立し,国号をとし,ハノイに都を置いた。[ 1 ]は侵入してきた中国の軍を撃退し,ベトナム中部にあったを攻撃して南進した。[ 1 ]にかわって1225年に成立した[ 2 ]は,中国のの侵攻を3度撃退し,さらに漢字をもとに考案したと呼ばれるベトナム独自の文字をつくり,民族意識を高揚させた。[ 5 ]は,科挙を導入し,中国風の行政制度を整備した。1400年に[ 5 ]が国内の混乱で滅ぶと,の永楽帝が[ 5 ]復興を口実に軍隊を派遣し,一時ベトナムを支配した。その後,[ 8 ]軍を撃退して1428年に成立した[ 2 ]は,[ 8 ]と朝貢関係を結び,朱子学を導入し,また律令制度を整備し,明にならった中央集権国家を建設した。[ 9 ]はベトナム中部にあったを併合し,現在のベトナムに近い領域を支配した。しかし,16世紀以降,[ 9 ]は名目的存在となり,17世紀以降は北部の鄭氏と中部の阮氏が勢力を二分した。18世紀後半に党の農民反乱が起き,両氏が滅びるとともに,[ 9 ]も滅亡した。
(1)[ 1 ][ 5 ][ 9 ]とも中国の侵攻を撃退していることに注意!!(2)[ 5 ]が成立した1225年は,ゴロで「いつニコチンやめる」と覚えよう!!