XI-22. ベトナムの独立王朝-大越国-

中国が唐末五代の混乱期に入ると,ベトナムでも自立の動きが強まった。ベトナムは,10世紀後半に独立し,1009年に [ 1.李朝 ] が成立し,国号を [ 2.大越(ダイベト) ] とし,ハノイに都を置いた。[ 1 ]は侵入してきた中国の [ 3.] 軍を撃退し,ベトナム中部にあった [ 4.チャンパー ] を攻撃して南進した。[ 1 ]にかわって1225年に成立した [ 5.陳朝 ] [ 2 ]は,中国の [ 6.] の侵攻を3度撃退し,さらに漢字をもとに考案した [ 7.字喃(チュノム) ] と呼ばれるベトナム独自の文字をつくり,民族意識を高揚させた。[ 5 ]は,科挙を導入し,中国風の行政制度を整備した。1400年に[ 5 ]が国内の混乱で滅ぶと, [ 8.] の永楽帝が[ 5 ]復興を口実に軍隊を派遣し,一時ベトナムを支配した。その後,[ 8 ]軍を撃退して1428年に成立した [ 9.黎朝 ] [ 2 ]は,[ 8 ]と朝貢関係を結び,朱子学を導入し,また律令制度を整備し,明にならった中央集権国家を建設した。[ 9 ]はベトナム中部にあった [ 10.チャンパー ] を併合し,現在のベトナムに近い領域を支配した。しかし,16世紀以降,[ 9 ]は名目的存在となり,17世紀以降は北部の鄭氏と中部の阮氏が勢力を二分した。18世紀後半に [ 11.西山(タイソン) ] 党の農民反乱が起き,両氏が滅びるとともに,[ 9 ]も滅亡した。
check_icon6(1)[ 1 ][ 5 ][ 9 ]とも中国の侵攻を撃退していることに注意!!(2)[ 5 ]が成立した1225年は,ゴロで「いつニコチンやめる」と覚えよう!!