III-7. フランク王国の発展

481年にフランク人は, [ 1.メロヴィング ] 家の [ 2.クローヴィス ] によって統一された。[ 2 ]は,正統派の [ 3.アタナシウス ] 派に改宗して,ローマ人貴族層の支持を取り付けた。だが8世紀になると,分割相続などが原因で[ 1 ]家は衰え,行政・財政面の長官である [ 4.宮宰 ] 職を世襲化する [ 5.カロリング ] 家に実権が移っていった。732年に [ 6.トゥール・ポワティエ間 ] の戦いで,[ 4 ]の [ 7.カール=マルテル ] がフランク領内に侵入してきたイスラームの [ 8.ウマイヤ ] 朝軍を撃退すると,その子 [ 9.ピピン ] [ 10.751 ] 年にローマ教皇の支持を得て[ 1 ]朝を廃して[ 5 ]朝を建てた。
check_icon6カロリング朝ができた751年に,中央アジアでは, [ 11.タラス河畔 ] の戦いで唐軍がイスラームの [ 12.アッバース ] 朝軍に敗れた。