1066年にが建てた朝は征服王朝であり,検地帳をつくるなど封建社会としては例外的に王権が強かった。年に朝を建てたは,フランス国王の家臣伯としてフランス内に広大な所領をもっていた。その子王は,フランス王に敗れて大陸領の大半を失い,さらに教皇と争って破門され,屈服した。その上,戦費をまかなうために重税を課したため,貴族が反抗し,1215年にを[ 7 ]に認めさせた。これは,新たな課税には高位聖職者と大貴族からなる会議の同意が必要であることなどを定めたもので,法による王権の制限であり,イギリス憲法の始まりとされる。