VI-26. 帝国主義期のロシアの進出(2)

東アジア方面におけるロシアの進出は,日本・イギリスと対立した。 [ 1.義和団事件 ] (1900-01年)後に中国東北地方(満州)からロシア軍が撤退しなかったため,1902年に [ 2.日英同盟 ] が結成され,1904年に [ 3.日露戦争 ] が勃発した。[ 3 ]に敗北したロシアは,東アジア進出を断念し,イギリスに接近した。ロシアは,1907年に [ 4.英露協商 ] を結び,バルカン半島進出へ再び転じることとなったが,これは第一次世界大戦勃発の背景となった。
check_icon6(1)[ 4 ]では,イラン北部をロシア,イラン南東部をイギリスの勢力範囲とし, [ 5.アフガニスタン ] はイギリスの勢力範囲, [ 6.チベット ] に関しては清の宗主権を認め,内政不干渉を守るとされた。(2)ロシアが東アジア進出を断念した結果,日本は1907年に,満洲における日露両国の権益を調整(北部はロシア,南部は日本)する [ 7.日露協約 ] を結ぶとともに,ロシアと同盟国のフランスとの間にも日仏協約を結び,日本の韓国における優越と,フランスのインドシナにおける優越を相互に承認した。