民主政の発達にともなって弁論術が重要になってくると,それを教える教師であるが登場した。「人間は万物の尺度」であるとする相対主義を説いたはその代表である。これに対して,普遍的・客観的な真理が存在するとして[ 1 ]を批判したのがである。彼の哲学は,アテネに学園アカデメイアを建設したの論に受け継がれた。[ 4 ]は師の[ 3 ]を死に追いやった民主政には批判的で,少数の哲人が統治する理想国家論を説いた。[ 4 ]の弟子は,アレクサンドロス大王の師としても知られるが,古代の諸学を集大成し,「万学の祖」と呼ばれる。病気の原因を科学的に説明しようとしたも重要で,「医学の父」とされる。
[ 3 ]は「異教を広め,青年を堕落させた」として裁判にかけられ,甘んじて死刑判決を受け入れ,前399年に死んだ。前399年のアテネは,衆愚政治に陥り,ペロポネソス戦争に敗れた後の時代であることに注意!!