科挙は家柄や階層を問わず受験できたが,合格に必要な儒学や詩文の教養を身につけるためには,幼い頃からの受験勉強が必要で,合格出来るのは富裕な家の子弟に限られた。唐末から五代にかけて没落した貴族にかわって,宋代に科挙に合格し,官僚を出した家()となったのは,新興地主層のであった。[ 2 ]は,小作人であるを用いて荘園を経営する地主層であった。儒学の教養を身につけた科挙出身の官僚は,と呼ばれる知識層でもあった。
科挙に合格して官僚となったのはほとんど形勢戸だったことから,まとめて官戸形勢戸と呼ばれた。