中宗の皇后韋后(いこう)を倒し,その後帝位についたは,秩序の再建に取り組み,安定をもたらしたので,治世の前半は「開元の治」とたたえられる。しかし,晩年にを寵愛すると,[ 2 ]の一族が実権を握るようになった。それに反発したのとその部下のが反乱を起こした。この(755~63年)は,の援軍を得てようやく鎮圧された。これ以降,内地にも置かれるようになった[ 3 ]が,行政・財政権を握って自立し,と呼ばれる独立勢力となった。また,[ 7 ]やチベットのもしばしば侵入してきて唐の領土は縮小した。
(1)[ 4 ]はソグド系で,3節度使を兼ねていた。(2)唐は751年に中央アジアで起こったでアッバース朝に敗れ,中央アジアから後退した。この戦いで捕虜となった唐の紙漉工(かみすきこう)が製紙法をイスラーム世界に伝えた。