IX-52. 唐の動揺-8世紀における変化-

8世紀に唐の体制は大きく転換する。商業が発達してくると,農民の間に貧富の差が広まった。また,租庸調や兵役の負担は農民を苦しめた。さらに,慢性的に口分田が不足していたため, [ 1.均田制 ] が8世紀にゆきづまり,没落して逃亡する農民が増加した。彼らは貴族などの大土地所有者が経営する [ 2.荘園 ] を耕作する [ 3.佃戸(でんこ) ] (小作人)となった。こうして[ 1 ]がくずれていくと, [ 4.西魏 ] 以来行われていた均田農民に軍役を課す [ 5.府兵制 ] が維持できなくなり,傭兵を用いる [ 6.募兵制 ] が採用された。その指揮官を [ 7.節度使 ] という。8世紀初めの設置当初は,[ 7 ]は辺境の防衛に当たっていた。しかし,755~763年の [ 8.安史の乱 ] 後は内地にも置かれるようになり,[ 7 ]は軍事だけでなく,地方の行政・財政の権限をも握って [ 9.藩鎮 ] と呼ばれる独立勢力となっていった。財政再建のために,租庸調制に代わって,原住地で所有している土地・財産に応じて夏・秋2回課税する [ 10.両税法 ] を780年に宰相 [ 11.楊炎 ] が採用した。