IX-125. チベットの動向

7世紀に [ 1.ソンツェン=ガンポ ] がチベットを統一し, [ 2.ラサ ] を都とする初の統一王朝を建国した。この王朝を中国では [ 3.吐蕃(とばん) ] と呼んだ。[ 1 ]はチベット文字を制定し,唐の太宗の皇女を迎えて唐と親交を結んだ。安史の乱に乗じて,[ 3 ]は一時唐の都の [ 4.長安 ] を占領した。その後も唐と抗争を繰り返したが,9世紀前半に唐との和平が結ばれて[ 2 ]に唐蕃会盟碑が建立された。しかし,[ 3 ]は9世紀後半に東西に分裂して衰えた。その後,チベットは明に服属したのち,清の [ 5.藩部 ] とされた。1911年に起きた辛亥革命を機に,1913年にダライ=ラマ13世が独立を主張する布告を出し,チベットは事実上独立した。中華人民共和国成立後,1951年に中国の人民解放軍が進駐し,チベットは中国に併合された。1959年に起きたチベット反乱を中国の人民解放軍が制圧した際に,ダライ=ラマ14世はインドへ亡命した。
check_icon6[ 2 ]には, [ 6.ポタラ宮殿 ] という歴代のダライ=ラマの宮殿がある。