IX-117. イエズス会宣教師の布教

1534年に [ 1.イグナティウス=ロヨラ ] らによって創立された [ 2.イエズス会 ] の宣教師が,16世紀半ばから中国に来航した。[ 2 ]宣教師は,孔子崇拝や祖先祭祀といった中国伝統の儀礼( [ 3.典礼 ] )を認め,中国名を名乗るなど柔軟な態度で布教した。[ 2 ]宣教師は,布教の手段として西洋の科学技術を伝えたこともあって,『農政全書』を著した [ 4.徐光啓 ] らの士大夫がカトリックに改宗した。また,[ 2 ]宣教師は,中国の政治体制や科挙の制度をほめたたえてヨーロッパに伝えた結果,啓蒙思想家が中国と比較してヨーロッパの国家体制を論じる風潮が起き,芸術の上でも [ 5.シノワズリ ] (中国趣味)が流行した。しかし,[ 2 ]宣教師が[ 3 ]を認めたことに反対したドミニコ会などの他の宣教師がローマ教皇に訴えた結果,カトリック内部で論争が起こった([ 3 ]問題)。ローマ教皇が[ 2 ]宣教師の布教を異端とすると,第4代皇帝 [ 6.康煕帝 ] は[ 2 ]以外の布教を禁じ,ついで [ 7.雍正帝 ] は1724年にキリスト教の布教を全面的に禁止した。