1920年代前半には国際紛争が多発した。トルコは(ケマル=パシャ,ケマル=アタテュルク)のもと,ギリシア軍を撃退してを回復し,オスマン帝国が受け入れた条約を改めて1923年に連合国と条約を結んだ。ポーランドは20年にソヴィエト=ロシアに侵入し,ウクライナの一部などを獲得した(ソヴィエト=ポーランド戦争,ポーランド=ソヴィエト戦争)。イタリアはユーゴスラヴィアと領有を争っていたを1924年に獲得した。最大の危機は,賠償問題をめぐりおきたフランス・両軍による1923年からのである。[ 7 ]は成立したばかりのヴェルサイユ体制をゆさぶった。
カテゴリー別アーカイブ: 1920年代の欧米
VII-10. 1920年代後半における国際協調と軍備縮小
1923年におきた・ベルギー両軍によるは,ヴェルサイユ条約で定められた非武装を危機に陥れる行為であった。しかし,1924年以降協調外交の機運が広がった。ドイツ外相は1924年に新賠償方式(案)を成立させ,25年にはドイツ西部国境の現状維持と[ 3 ]非武装を再確認する条約を結んで,翌26年にドイツを国際連盟に加盟させた。28年,アメリカ国務長官とフランス外相の提唱で,国際紛争の解決の手段として戦争に訴えないことを約す条約([ 7 ]・[ 8 ]協定,[ 7 ]・[ 8 ]条約)が締結された。30年,軍縮会議で米・英・日の補助艦の保有比率が決定された。
VII-11. 1920年代におけるアメリカの繁栄
第一次世界大戦は世界経済に大きな変動をもたらした。大戦前のアメリカは世界最大の工業国ではあったが,世界有数の債務国でもあった。だが大戦中,アメリカは連合国(協商国)へ物資や(借款)を提供して大きな利益をあげ,戦後には債務国からに転じ,ニューヨークがロンドンに並ぶ国際金融市場の中心となった。巨大な経済力を背景にアメリカでは新たな生活様式が生みだされた。のベルトコンベア方式による車の大量生産により,車は大衆にも手の届くものとなった。また,冷蔵庫・洗濯機などの家電製品の普及により大量生産・大量消費社会が形成された。ラジオ・映画・スポーツなどの発展により,大衆文化も誕生した。
第一次世界大戦後のアメリカの繁栄を「パクス=アメリカーナ」の始まりととらえる考え方もある。だが,「パクス=アメリカーナ」の起点について,第二次世界大戦終結ととらえる論者もいるし,1991年のソ連崩壊とする論者もいて見解は統一されていない。
VII-12. 1920年代におけるアメリカの国内政治(1)
アメリカでは,第一次世界大戦中に女性が軍需生産に協力したことを背景として,1920年に女性参政権が認められた。21年から,・クーリッジ・と3代にわたって,経済界の利益を重視する政権が続き,自由放任政策と高関税政策がとられた。この高関税政策はヨーロッパの経済復興の妨げとなった。[ 3 ]政権は対外的にはをとり,には加盟しなかったが,賠償問題については1924年の案,1929年の案を成立させてヨーロッパの問題に関わった。
VII-13. 1920年代におけるアメリカの国内政治(2)
この当時のアメリカ社会の中心はと呼ばれる白人で,伝統的な白人社会への復帰を求める声が強く,酒の製造・販売・運搬を禁止するが成立し,1924年には日本人を含むアジア系移民を事実上禁止するが制定された。また,人種差別主義の秘密結社の活動が活発化し,イタリア系移民のアナキストに対する冤罪(えんざい)とされる事件も起こった。
(1)WASPとは,White, Anglo-Saxon, Protestantの頭文字をとったもので,イギリス系のプロテスタントの白人をさす。(2)[ 2 ]は,ギャングによる密造・密売を招き,1933年に廃止された。
VII-14. 1920年代におけるイギリスの国内政治(1)
第一次世界大戦における総力戦に協力した女性が参政権を強く求めるようになった結果,イギリスでは,1918年の選挙法改正で初めて女性参政権が認められた。しかし,この選挙法改正は,男性21歳以上,女性30歳以上と不平等なものであった。28年の選挙法改正で,21歳以上の男女に改められ,男女平等の普通選挙が確立した。[ 1 ]選挙法改正はの躍進をもたらし,23年の選挙で保守党に次ぐ第二党となり,翌24年にの協力を得て,第1次内閣が成立した。初めての[ 3 ]内閣はソ連を承認したが,選挙に敗れて1年もたず短命に終わった。1929年の選挙で労働党は第一党となり,第2次[ 5 ]内閣が誕生した。イギリスの政治状況は,自由党が衰退していくなか,保守党と労働党の二大政党時代へと変化していった。
[ 1 ]選挙法改正は,挙国一致内閣のもとで行われた。
VII-15. 1920年代におけるイギリスの国内政治(2)
第一次世界大戦中に自治領は本国に協力して参戦したが,1916年のアイルランドにおけるのような本国からの自立をめざす動きも存在した。第一次世界大戦後のイギリスは,インドやエジプトの民族運動を抑える一方で,北部のアルスター地方を除くアイルランドに自治権を認め,1922年にが成立した。自治領が本国議会の束縛を脱しようとする状況を受けて,26年のイギリス帝国議会において自治領に本国と対等の関係を認め,「イギリス国王に対する共通の忠誠」を基盤とするが組織された。31年,でこの体制が法制化された。しかし,アイルランドの独立派は,37年に国王への忠誠宣言を廃止して独自憲法を定め,を国名として事実上[ 3 ]を脱退した。その後,49年には正式に[ 3 ]を脱退してアイルランドを名乗った。
(1)1905年に結成されたアイルランドの民族主義政党は[ 1 ]に関わったのちも支持を広げ,1918年の選挙で圧勝し,独立を宣言した。これを認めないイギリスとの武力闘争を経て,[ 2 ]が成立した。(2)「アイルランド」は英語,「エール」はアイルランド語であるが,どちらも公称として用いられている。
VII-16. 1920年代におけるフランスの国内政治
フランスは,第一次世界大戦で国土が戦場となって荒廃した上,帝政ロシアに対する莫大な債権をロシア革命で失ったこともあり,ドイツに過大な賠償を要求した。ポワンカレ右派内閣は賠償支払い不履行を理由に23年にとともにを行ったが失敗し,翌24年に左派連合内閣が成立した。外相はドイツとの協調を図り,25年にルールから撤兵し,ドイツ西部国境の現状維持やラインラント非武装などを確認した条約を結んだ。[ 3 ]外相は28年にアメリカの国務長官と協力して([ 5 ]・[ 3 ]条約,[ 5 ]・[ 3 ]協定)を結んだ。
VII-20. ヴァイマル共和国(1)
1918年11月,軍港の水兵反乱に始まったドイツ革命(ドイツ十一月革命)では,ロシア革命時の「ソヴィエト」にあたる(評議会)が各地に組織された。これに対し,を中心とする臨時政府は議会制民主主義をめざす一方,軍部などと結び,急進左派勢力をおさえこもうとした。大戦中に戦争に反対する[ 3 ]内の左派はを結成していた。[ 4 ]が中心となり18年末にできたドイツは19年1月にベルリンで武装蜂起を起こしたが鎮圧され,地方の[ 2 ]政権も平定された。[ 5 ]の武装蜂起の混乱を避け,で開かれた国民議会で憲法が制定され,[ 3 ]のを大統領とするドイツ共和国([ 6 ]共和国)が成立した。
[ 4 ]を組織したのは,ポーランド生まれの女性革命家とドイツ人革命家であるが,両人とも19年1月の[ 5 ]の武装蜂起の際に虐殺された。
VII-21. ヴァイマル共和国(2)
1919年に制定された憲法は,20歳以上の男女による普通選挙,労働者の団結権だけでなく経営参加権も認めるもので,当時最も民主的といわれた。だが,議会が機能しない場合に大統領が非常の措置をとることができるという非常大権が認められた(大統領緊急令)。この強権は,共和政初期における左右両派の蜂起の鎮圧などには有効に働いたが,29年からのの混乱の中では,大統領命令が多発され,大統領に指名された内閣が続いた。そして,33年1月にが[ 1 ]共和国第2代大統領により首相に指名されると,[ 4 ]は[ 1 ]共和国を崩壊へと導いた。