キリスト教はイエスが選んだ直弟子であるによって広められた。ガリラヤの漁夫出身で初代ローマ教皇とされると,もとパリサイ派でキリスト教徒を迫害したのちに改宗したがローマ帝国各地に伝道活動を行った。キリスト教は3世紀頃までに奴隷や下層民に広まり,のちに上層市民にも広まるようになった。キリスト教徒は,国家祭祀や皇帝崇拝を拒んだので迫害された。そのため,地下墓所()を避難所・礼拝所として利用した。
ペテロ,パウロはネロ帝の時の迫害で殉死した。また,四帝分治制を始めた帝は303年からキリスト教徒を大迫害した。
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II-22. キリスト教の発展
キリスト教の広まりを背景に,年,帝が勅令によりキリスト教を公認した。[ 2 ]帝が開催した年の公会議では,神とキリストを同一視する派が正統とされ,キリストを人間であるとする派が異端とされた。4世紀後半には帝が異教の復活を試みたが成功せず,392年に帝は他の宗教を禁じて,[ 6 ]派のキリスト教を国教とした。431年の公会議では,イエスの神性と人性を分離する派が異端とされた。この宗派は唐代の中国に伝えられ,と呼ばれた。さらに,451年の公会議では,イエスに神性のみを認めるが異端とされた。[ 14 ]は,シリア・アルメニア・エジプト・エチオピアなどの教会に受け継がれた。
(1)[ 6 ]派の教義は,のちにとして確立された。(2)エジプトの[ 14 ]派の教会は,教会と呼ばれ,エチオピアの教会はこれに深い関係がある。
II-23. ローマ文化:文学
アウグストゥスの時代に黄金期を迎えたラテン文学では,ホメロスの影響を受けてローマ建国叙事詩『アエネイス』を著したや,『叙情詩集』を著した,『愛の歌』や『転身譜』を著したらがいる。散文では,第2回三頭政治でアントニウスと対立して暗殺された,ローマ最大の雄弁家とされるが有名。ギリシア人のは,ギリシア・ローマの英雄の伝記集である『』を著した。
共和政を擁護した[ 4 ]の代表的著作には,『国家論』がある。
II-24. ローマ文化:歴史・地理・自然科学
大移動前の古ゲルマン史料としては,二つの著作が重要である。ガリア遠征の記録であるの『』は,ケルト人・ゲルマン人の重要史料である。タキトゥスが著したゲルマン人の記録が,『』である。政体循環史観を説いたギリシア人歴史家は,第3回ポエニ戦争に従軍し,『歴史』を著した。アウグストゥスに庇護された歴史家はラテン語で『ローマ史』を著した。『地理誌』を著したのは,ギリシア人地理学者である。『』を著した博物学者は,ポンペイの遺跡を生み出したウェスウィウス火山の噴火で殉職した。2世紀のギリシア人天文学者が説いた天動説は,コペルニクスにいたるまで支配的な影響を与えた。
帝政に批判的で共和政にあこがれを抱いていたタキトゥスは,アウグストゥスからネロまでの出来事を年ごとに記述した『年代記』を書いた。
II-25. ローマ文化:哲学
哲学では,禁欲を通じて内面的幸福を追求する派が流行した。[ 1 ]派哲学者のはネロの師であったが,ネロに死を強要された。五賢帝最後のは,[ 1 ]派の哲人皇帝として有名で,ギリシア語で『』を著した。奴隷出身のギリシア人[ 1 ]派哲学者であるは精神的に自由な生活を送るべきだと説いた。
II-26. ローマ文化の特色
哲学などの精神文化においては,ローマ人はギリシアの模倣に終わったといわれる。これに対して,土木・建築技術にはすぐれ,ローマに残る(円形闘技場)や,軍道や南フランスにある水道橋,戦勝記念で建設されたなどの遺跡が残されている。また法は,ローマ市民のみに適用される市民法からすべての人に適用されるへと発展していった。6世紀のビザンツ皇帝の命によって編纂された『』は,ローマ法の集大成であるが,ローマ法は後世に大きな影響を与えた。
II-27. ローマ文化:キリスト教思想
教会によって公認された,古代から中世初期にかけて登場した神学者をと呼ぶ。古代キリスト教最大の教父が,『神の国(神国論)』『告白録』を著したである。彼は,青年期には教を信仰しており,回心したのちカトリック教義の確立に努めた。『神の国』は,西ゴート人がローマを占領・略奪した事件に関して,異教徒がキリスト教徒に責めを負わせる非難に対してキリスト教を弁護した著作。『告白録』は,[ 3 ]教からキリスト教にたどり着くまでの自伝である。[ 2 ]は北アフリカのヒッポの司教であったが,ゲルマンの人が包囲する中,430年に亡くなった。