カテゴリー別アーカイブ: 2.ローマ世界

II-11. 独裁への道(2)

[ 1.ポンペイウス ] を打倒してエジプトから帰国したカエサルは独裁を進め,終身の [ 2.ディクタトル ] (独裁官)となった。 [ 3.元老院 ] を無視して独裁を進めるカエサルは, [ 4.ブルートゥス ] らの共和主義者によって, [ 5.前44 ] 年に暗殺された。
check_icon6カエサルはエジプトの太陽暦をもとに, [ 6.ユリウス ] 暦を制定した。現行の太陽暦は,[ 6 ]暦をもとに16世紀後半に制定されたグレゴリウス暦である。なお,ロシア革命の項で出てくるロシア暦とは,[ 6 ]暦のことである。

II-12. 独裁への道(3)

カエサル暗殺後,カエサルの部下 [ 1.アントニウス ] とレピドゥス,カエサルの養子 [ 2.オクタウィアヌス ] の3人による第2回 [ 3.三頭政治 ] が行われた。レピドゥスが失脚したのち, [ 4.プトレマイオス ] 朝エジプトの女王 [ 5.クレオパトラ ] と同盟した[ 1 ]を [ 6.前31 ] 年の [ 7.アクティウム ] の海戦で破った[ 2 ]は,前30年に[ 4 ]朝を滅ぼしてエジプトを属州とし,地中海世界を統一した。

II-13. 帝政前期

アクティウムの海戦に勝利した [ 1.オクタウィアヌス ] は, [ 2.前27 ] 年に元老院から [ 3.アウグストゥス ] (尊厳者)の称号を与えられ,これがローマ帝政の始まりとされる。[ 1 ]はカエサルのようにならないように,元老院にも属州の一部の統治を任せ,共和政の伝統を尊重し,自分は市民のなかの第一人者( [ 4.プリンケプス ] )に過ぎないと自称した。そのため,帝政前期は [ 5.元首政(プリンキパトゥス) ] と呼ばれる。

II-14. 「ローマの平和」

[ 1.前27 ] 年の [ 2.アウグストゥス ] 帝による帝政の開始から [ 3.五賢帝 ] までの約200年間は「ローマの平和( [ 4.パクス=ロマーナ ] )」というローマの最盛期である。ローマ風の都市が各地に造られ,現在まで続く都市もある。現在のロンドンは [ 5.ロンディニウム ] ,パリは [ 6.ルテティア ] ,ウィーンは [ 7.ヴィンドボナ ] と呼ばれていた。インド洋での季節風貿易も行われ,ローマはアジアから絹・香辛料などを輸入し,ブドウ酒・金貨などを輸出した。当時の貿易事情は,『 [ 8.エリュトゥラー海案内記 ] 』に述べられている。

II-15. 五賢帝

96年に即位した [ 1.ネルウァ ] から5人の皇帝を [ 2.五賢帝 ] と呼ぶ。この間,各皇帝は自分の子に帝位を継がせることはなく,元老院議員の最も有能な人物を養子として帝位を継がせた。2番目の [ 3.トラヤヌス ] のときに現在のルーマニアにあたる [ 4.ダキア ] を属州とし,東方ではメソポタミアを一時征服して最大版図を築いた。その次の [ 5.ハドリアヌス ] は防衛に努め,現在のイギリスに当たる属州 [ 6.ブリタニア ] に長城を築いた。[ 2 ]最後の皇帝が [ 7.マルクス=アウレリウス=アントニヌス ] [ 8.ストア ] 派の哲人皇帝としても知られ,『 [ 9.自省録 ] 』をギリシア語で著した。また,『後漢書』の [ 10.大秦王安敦 ] は[ 7 ]とされる。

II-16. 「3世紀の危機」

3世紀のローマは,各属州の軍団が勝手に皇帝を擁立して争う [ 1.軍人皇帝 ] 時代となった。また,北方からは [ 2.ゲルマン ] 人が,東方からは [ 3.ササン ] 朝が侵入した。[ 1 ]の [ 4.ウァレリアヌス ] が[ 3 ]朝第2代の王 [ 5.シャープール1世 ] に捕らえられた。この時期に,奴隷を使用する大土地経営( [ 6.ラティフンディア ] )がゆきづまり,小作人( [ 7.コロヌス ] )を働かせる小作制( [ 8.コロナトゥス ] )が行われるようになった。
check_icon6212年に [ 9.カラカラ ] 帝が帝国内の全自由民にローマ市民権を付与した。

II-17. 土地制度の変化

「3世紀の危機」の時代に都市に重税がかけられたため,上層市民は都市を去り田園に大所領を経営する者が現れた。彼らは,それまでの奴隷を使用する大土地経営( [ 1.ラティフンディア ] )に代わり,没落した自由農民や解放奴隷を小作人( [ 2.コロヌス ] )として働かせる小作制( [ 3.コロナトゥス ] )を行うようになった。 [ 4.コンスタンティヌス ] 帝は,徴税をしやすくするために[ 2 ]の移動を禁じて,下層民の身分や職業を固定化した。
check_icon6奴隷数の減少や奴隷労働の生産性の低さなどがコロヌス制発展の要因である。コロヌス制は,中世の農奴の先駆形態とみなされている。

II-18. 帝政後期

[ 1.284 ] 年に即位した [ 2.ディオクレティアヌス ] 帝が帝国を4分し正帝・副帝を2名ずつたてて統治させる [ 3.四帝分治制(四分統治) ] をはじめ, [ 4.軍人皇帝 ] 時代の混乱を収めた。彼は,自らを主人( [ 5.ドミヌス ] )と呼ばせて,皇帝を礼拝させる専制君主政( [ 6.ドミナトゥス ] )を始めた。さらに, [ 7.コンスタンティヌス ] 帝は313年にキリスト教を公認することで帝国の統一をはかり, [ 8.コンスタンティノープル ] (旧名ビザンティウム)に遷都し,専制政治を強化した。
check_icon6ディオクレティアヌスは四分統治において東方の正帝となった。また,303年に最後のキリスト教徒の大迫害を行ったことでも知られる。

II-19. ローマ帝国の分裂

395年に [ 1.テオドシウス ] 帝は死に際して帝国を東西に分けて2子に分け与えたが,これ以後帝国が統一されることはなく,東西分裂が固定化した。 [ 2.ゲルマン ] 人の大移動に直面した西ローマ帝国は, [ 3.476 ] 年にゲルマン人傭兵隊長 [ 4.オドアケル ] によって滅ぼされた。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は,貨幣経済や商業の衰退は見られず, [ 5.1453 ] 年に [ 6.オスマン ] 帝国に滅ぼされるまで続いた。

II-20. キリスト教の成立

パレスチナに生まれたイエスは,律法を遵守して形式主義に陥ったユダヤ教の [ 1.パリサイ ] 派を批判し, [ 2.神の絶対愛 ] と隣人愛を説いた。民衆はイエスを救世主(ヘブライ語で [ 3.メシア ] ,ギリシア語でキリスト)と信じたが,反発したユダヤ人支配層がローマへの反逆者として告発し,総督 [ 4.ピラト(ピラトゥス) ] がイエスを十字架刑に処した。その後,イエスが復活したという信仰が生まれ,キリスト教が成立した。
check_icon6(1)ユダヤ教の聖典を『旧約聖書』と呼び,イエスや使徒の言行をまとめたものが『 [ 5.新約聖書 ] 』である。『[ 5 ]』はギリシア語の共通語である [ 6.コイネー ] で記された。『[ 5 ]』中のマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネによるイエスの言行録を『 [ 7.福音書 ] 』,ペテロ・パウロの伝道を中心に記述した書を『使徒行伝』という。なお,新約・旧約の「約」とは,神との契約・約束の意味である。(2)ユダヤ教には自らが神から選ばれた民族であるという, [ 8.選民思想 ] があった。そのためユダヤ教はユダヤ人の民族宗教にとどまった。これに対し,[ 2 ]と隣人愛を説いたキリスト教は世界宗教となることができた。