パレスチナに生まれたイエスは,律法を遵守して形式主義に陥ったユダヤ教の派を批判し,と隣人愛を説いた。民衆はイエスを救世主(ヘブライ語で,ギリシア語でキリスト)と信じたが,反発したユダヤ人支配層がローマへの反逆者として告発し,総督がイエスを十字架刑に処した。その後,イエスが復活したという信仰が生まれ,キリスト教が成立した。
(1)ユダヤ教の聖典を『旧約聖書』と呼び,イエスや使徒の言行をまとめたものが『』である。『[ 5 ]』はギリシア語の共通語であるで記された。『[ 5 ]』中のマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネによるイエスの言行録を『』,ペテロ・パウロの伝道を中心に記述した書を『使徒行伝』という。なお,新約・旧約の「約」とは,神との契約・約束の意味である。(2)ユダヤ教には自らが神から選ばれた民族であるという,があった。そのためユダヤ教はユダヤ人の民族宗教にとどまった。これに対し,[ 2 ]と隣人愛を説いたキリスト教は世界宗教となることができた。
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II-21. キリスト教の伝道
キリスト教はイエスが選んだ直弟子であるによって広められた。ガリラヤの漁夫出身で初代ローマ教皇とされると,もとパリサイ派でキリスト教徒を迫害したのちに改宗したがローマ帝国各地に伝道活動を行った。キリスト教は3世紀頃までに奴隷や下層民に広まり,のちに上層市民にも広まるようになった。キリスト教徒は,国家祭祀や皇帝崇拝を拒んだので迫害された。そのため,地下墓所()を避難所・礼拝所として利用した。
ペテロ,パウロはネロ帝の時の迫害で殉死した。また,四帝分治制を始めた帝は303年からキリスト教徒を大迫害した。
II-22. キリスト教の発展
キリスト教の広まりを背景に,年,帝が勅令によりキリスト教を公認した。[ 2 ]帝が開催した年の公会議では,神とキリストを同一視する派が正統とされ,キリストを人間であるとする派が異端とされた。4世紀後半には帝が異教の復活を試みたが成功せず,392年に帝は他の宗教を禁じて,[ 6 ]派のキリスト教を国教とした。431年の公会議では,イエスの神性と人性を分離する派が異端とされた。この宗派は唐代の中国に伝えられ,と呼ばれた。さらに,451年の公会議では,イエスに神性のみを認めるが異端とされた。[ 14 ]は,シリア・アルメニア・エジプト・エチオピアなどの教会に受け継がれた。
(1)[ 6 ]派の教義は,のちにとして確立された。(2)エジプトの[ 14 ]派の教会は,教会と呼ばれ,エチオピアの教会はこれに深い関係がある。