ローマは川のほとりに,イタリア人の一派人が建設した都市国家である。ローマははじめ民族系統不明の先住民である人の王に支配されていたが,前6世紀末に王を追放して共和政となった。だが,最高官職である2名の(執政官),非常時におかれる(独裁官),および最高の立法・諮問機関のの議員は貴族()が独占したので,当初の共和政は貴族共和政と呼ばれる。これに対して,中小農民の平民()が身分闘争を行って,徐々に権利を獲得していった。
ラテン人のローマ帝国が地中海世界を統一し,ラテン語が広い地域で使われた結果,ロマンス語派(イタリック語派,ラテン語派)と呼ばれる諸語が生まれた。そこには,イタリア語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語などが含まれる。
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II-2. ローマの身分闘争
武器を自分で買った中小農民の平民()がとして戦争に参加するようになって,平民は貴族による政権独占に不満を抱き,政治的発言権を求めるようになった。前5世紀初めには,元老院や(執政官)の決定に拒否権を行使して平民の権利を守るが設けられた。前5世紀半ばに従来の慣習法を成文化した,最古の成文法であるが制定され,貴族による法の独占が打破された。年の法では2名の[ 3 ]のうち一人を平民から選ぶことを決めた。さらに,年の法では,平民たちの民会であるの決議が元老院の承認なくローマ法となることが決定され,貴族と平民の法的平等が達成された。
[ 7 ]法では,貴族による公有地占有も制限された。
II-3. ローマのイタリア半島支配
ローマは中小農民の平民で構成されるを軍隊の主力として,周辺の都市国家を征服し,前272年には南イタリアにあったギリシア植民市の最後の拠点タレントゥムを陥落させてイタリア半島のすべてを支配した。ローマは支配した諸都市を,ローマ市民権を与える植民市,市民権の一部を与える自治市,市民権を与えないなどに分けた。それらに対して,それぞれ異なる権利と義務を与えて統治し,被支配者が団結してローマに反抗することを防止した,この統治形態をという。
II-4. ローマの地中海進出
全イタリア半島を支配したローマは西地中海の覇権をめぐり,セム系の人がアフリカ北岸に建てた植民市と衝突した。3回にわたる戦争(前264~前146)でローマは[ 2 ]を滅ぼした。[ 2 ]を滅ぼした前146年にローマは貿易上のライバルであったギリシアのコリントスを滅ぼし,地中海の大部分を支配した。その後,前30年に朝エジプトを滅ぼして,ローマは地中海世界を統一した。
II-5. ポエニ戦争
ポエニ戦争(前264-前146)は,人植民市とローマとの西地中海の覇権をめぐる戦争。第1回では島をローマが獲得し,最初の(イタリア半島以外のローマの征服地)とした。第2回ではアルプスを越えて北イタリアに侵入してきたにの戦い(前216年)でローマ軍は大敗したが,がの戦い(前202年)で[ 5 ]を破った。前146年にローマは[ 2 ]を滅ぼして,ポエニ戦争はおわった。
ザマの戦いが戦われた前202年の中国では,劉邦が項羽を破って漢王朝を建てた。
II-6. ローマ社会の変質(1)
前287年の法制定以後に,(執政官)職を経験した上層の(平民)は,(貴族)と一体化して,新しい支配層である(新貴族)を形成した。また,イタリア半島以外のローマの征服地であるの徴税請負や公共土木工事で莫大な財を築いた(エクイテス)が新たな階層として登場した。一方,ローマの地中海進出の過程で戦争に従軍した中小農民の土地は荒廃し,没落した農民の多くがローマに流入し,「パンと見世物」を要求する遊民と化した。
II-7. ローマ社会の変質(2)
ポエニ戦争などによる急速な領土拡大はローマ社会を変質させていった。イタリア半島以外のローマの征服地であるを統治する元老院議員や,[ 1 ]の徴税請負を行う(エクイテス)は,[ 1 ]の拡大によって広がった公有地を私有地化したり,没落した農民の土地を買い占めて大土地所有者となり,戦争捕虜であるを多数使用して,オリーブ・ブドウなどの商品作物を作るを経営するようになった。
シチリア島では,[ 4 ]の奴隷が2度にわたって奴隷反乱を起こした(前135-前132,前104-前100)。
II-8. 大土地所有への抵抗
中小農民が没落して軍事力が低下することに危機感を抱いたは,前2世紀後半にあいついでになり,公有地占有の制限規定がある,前367年に制定された法を復活して,大土地所有者の土地を没収して,無産市民に分配しようと試みた。だが,この改革は元老院の反対にあい,挫折した。この改革以降ローマは,有力者が無産市民を集めて私兵として争う混乱した「」に突入した。
II-9. 「内乱の1世紀」
民会を足がかりに,民衆を支持基盤とする(ポプラレス)の代表であると,元老院中心の体制を維持しようとする(オプティマテス)を代表するがたがいに私兵を率いて争った。また,市民権を与えられていなかったイタリア半島のが市民権を求めて戦争を起こした([ 5 ]戦争:前91-前88)。さらに,見世物として真剣勝負を行っていたがに率いられて反乱(前73-前71)を起こした。
(1)グラックス兄弟の改革以降,アウグストゥスによる元首政の成立までの混乱期を「内乱の1世紀」と呼ぶ。(2)[ 2 ]派を破った[ 4 ]は一時独裁を行ったが,自ら引退した。
II-10. 独裁への道(1)
元老院が指導する共和政が機能しなくなってきたのに対して,年に3人の実力者が元老院に対抗して私的な政治同盟を結んで,第1回を実現した。そのうちの一人が東方のとの戦いで戦死すると,が元老院に接近し,遠征で富を築いたと対立するようになった。その後,[ 5 ]を破った[ 7 ]が独裁を行った。