朝第2代の王はウラル語系の人を破ったのち,北イタリアに遠征し,年に教皇からローマ皇帝の冠を与えられた。以後,ドイツ王に選ばれた者が皇帝となる慣例が生まれ,その国は帝国と呼ばれた。[ 2 ]以降の皇帝は,イタリアをめぐって皇帝と教皇が争うに熱中し,ドイツの諸侯が次第に自立した。その結果,帝国の分裂と衰退が加速した。
オットー1世に敗れたマジャール人は王国を建て,信仰を受け入れた。マジャール人は現在の[ 7 ]人の祖である。
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III-50. 神聖ローマ帝国の混乱
イタリアを支配下に置こうとするに熱中した朝が13世紀半ばに断絶したのち,事実上皇帝が不在の時代(1256(54)-73年)となり,政治的混乱は頂点に達した。年にルクセンブルク朝の皇帝がを発布し,聖俗からなる7人のによる皇帝選挙を定めた。[ 7 ]には貨幣鋳造権などの特権が認められたが,この特権は他の諸侯にものちに拡大された結果,と呼ばれる小国家が形成され,神聖ローマ帝国は分裂状態に陥った。1438年からは家が皇帝位を事実上独占したが,帝国の統一には失敗した。
[ 7 ]の一つであるの所領はエルベ川以東のスラヴ人地域への東方植民によって成立した。15世紀にホーエンツォレルン家領となり,のちにプロイセン王国へと発展していく。
III-51. スイスの独立
スイスは,13世紀末に家の支配に抗して独立闘争を始め,1499年に13州が独立を獲得した。国際的に承認されたのは,三十年戦争の講和として年に結ばれた条約においてである。さらに,フランス革命・ナポレオン戦争後の国際秩序を話し合った会議(1814-15)で,スイスはが認められた。
III-52. 中世のイタリア
中世のイタリアは多くの国・諸侯・都市共和国にわかれていた。13世紀末に両シチリア王国はシチリア王国と王国に分裂した。シチリアはアラゴン王国の支配下に入り,[ 1 ]は15世紀半ばまでアンジュー家が支配した。中部には教皇領があり,北部には「アドリア海の女王」とたたえられたや,フィレンツェ・ジェノヴァなどの都市共和国があった。神聖ローマ皇帝がをもって介入してくると,(ゲルフ)と(ギベリン)に分かれて抗争を繰り返して政治的混乱が続いた。
III-53. エルベ川以東
12~14世紀にドイツ人によるスラヴ人やマジャール人居住地域への大規模な植民が行われた。これをというが,これにより辺境伯領や領がつくられた。ポーランドでは,植民を進める[ 3 ]に対抗するために,バルト語系の人と西スラヴの人が結び,朝[ 4 ]=[ 5 ]王国が1386年にでき,15世紀初めに[ 3 ]を撃破して強大になった。
ブランデンブルク辺境伯領はのちにブランデンブルク選帝侯国となるが,ドイツ騎士団領を継承して,1701年にプロイセン王国ができあがる。
III-54. 北ヨーロッパ
女王が主導して,デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの北欧3か国の間に1397年に同盟が結成され,同君連合王国が成立し,ハンザ同盟と海の覇権を争った。だが,この同盟は1523年にが独立して崩壊し,以降[ 5 ]が北欧の強国として台頭した。
1397年と1523年の年代は,「カールまるまるぐれて父さん苦難,以後兄さんがんばって」とゴロで覚えておこう。
III-55. 中世のイベリア半島
711年に朝によって王国が滅ぼされたのち,イベリア半島はイスラームの支配下に置かれた。これに対してキリスト教徒が,対イスラーム戦であるを行った。この過程でアラゴン王国,王国が建国され,[ 4 ]王国から1143年に王国が独立した。[ 4 ]王女とアラゴン王子の結婚により,1479年に両国は統合されて王国が成立した。共同統治を行った2人は,1492年にイベリア半島最後のイスラーム王朝である朝の都を陥落させて[ 3 ]は終結した。