カテゴリー別アーカイブ: ドイツ・イタリア・北欧・イベリア半島

III-49. 神聖ローマ帝国の成立

[ 1.ザクセン ] 朝第2代の王 [ 2.オットー1世 ] はウラル語系の [ 3.マジャール ] 人を破ったのち,北イタリアに遠征し, [ 4.962 ] 年に教皇からローマ皇帝の冠を与えられた。以後,ドイツ王に選ばれた者が皇帝となる慣例が生まれ,その国は [ 5.神聖ローマ ] 帝国と呼ばれた。[ 2 ]以降の皇帝は,イタリアをめぐって皇帝と教皇が争う [ 6.イタリア政策 ] に熱中し,ドイツの諸侯が次第に自立した。その結果,帝国の分裂と衰退が加速した。
check_icon6オットー1世に敗れたマジャール人は [ 7.ハンガリー ] 王国を建て, [ 8.カトリック ] 信仰を受け入れた。マジャール人は現在の[ 7 ]人の祖である。

III-50. 神聖ローマ帝国の混乱

イタリアを支配下に置こうとする [ 1.イタリア政策 ] に熱中した [ 2.シュタウフェン ] 朝が13世紀半ばに断絶したのち,事実上皇帝が不在の [ 3.大空位 ] 時代(1256(54)-73年)となり,政治的混乱は頂点に達した。 [ 4.1356 ] 年にルクセンブルク朝の皇帝 [ 5.カール4世 ] [ 6.金印勅書 ] を発布し,聖俗からなる7人の [ 7.選帝侯 ] による皇帝選挙を定めた。[ 7 ]には貨幣鋳造権などの特権が認められたが,この特権は他の諸侯にものちに拡大された結果, [ 8.領邦 ] と呼ばれる小国家が形成され,神聖ローマ帝国は分裂状態に陥った。1438年からは [ 9.ハプスブルク ] 家が皇帝位を事実上独占したが,帝国の統一には失敗した。
check_icon6[ 7 ]の一つである [ 10.ブランデンブルク辺境伯 ] の所領はエルベ川以東のスラヴ人地域への東方植民によって成立した。15世紀にホーエンツォレルン家領となり,のちにプロイセン王国へと発展していく。

III-51. スイスの独立

スイスは,13世紀末に [ 1.ハプスブルク ] 家の支配に抗して独立闘争を始め,1499年に13州が独立を獲得した。国際的に承認されたのは,三十年戦争の講和として [ 2.1648 ] 年に結ばれた [ 3.ウェストファリア ] 条約においてである。さらに,フランス革命・ナポレオン戦争後の国際秩序を話し合った [ 4.ウィーン ] 会議(1814-15)で,スイスは [ 5.永世中立 ] が認められた。

III-52. 中世のイタリア

中世のイタリアは多くの国・諸侯・都市共和国にわかれていた。13世紀末に両シチリア王国はシチリア王国と [ 1.ナポリ ] 王国に分裂した。シチリアはアラゴン王国の支配下に入り,[ 1 ]は15世紀半ばまでアンジュー家が支配した。中部には教皇領があり,北部には「アドリア海の女王」とたたえられた [ 2.ヴェネツィア ] や,フィレンツェ・ジェノヴァなどの都市共和国があった。神聖ローマ皇帝が [ 3.イタリア政策 ] をもって介入してくると, [ 4.教皇党 ] (ゲルフ)と [ 5.皇帝党 ] (ギベリン)に分かれて抗争を繰り返して政治的混乱が続いた。

III-53. エルベ川以東

12~14世紀にドイツ人によるスラヴ人やマジャール人居住地域への大規模な植民が行われた。これを [ 1.東方植民 ] というが,これにより [ 2.ブランデンブルク ] 辺境伯領や [ 3.ドイツ騎士団 ] 領がつくられた。ポーランドでは,植民を進める[ 3 ]に対抗するために,バルト語系の [ 4.リトアニア ] 人と西スラヴの [ 5.ポーランド ] 人が結び, [ 6.ヤゲウォ(ヤゲロー) ] 朝[ 4 ]=[ 5 ]王国が1386年にでき,15世紀初めに[ 3 ]を撃破して強大になった。
check_icon6ブランデンブルク辺境伯領はのちにブランデンブルク選帝侯国となるが,ドイツ騎士団領を継承して,1701年にプロイセン王国ができあがる。

III-54. 北ヨーロッパ

[ 1.デンマーク ] 女王 [ 2.マルグレーテ ] が主導して,デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの北欧3か国の間に1397年に [ 3.カルマル ] 同盟が結成され,同君連合王国が成立し,ハンザ同盟と [ 4.バルト ] 海の覇権を争った。だが,この同盟は1523年に [ 5.スウェーデン ] が独立して崩壊し,以降[ 5 ]が北欧の強国として台頭した。
check_icon61397年と1523年の年代は,「カールまるまるぐれて父さん苦難,以後兄さんがんばって」とゴロで覚えておこう。

III-55. 中世のイベリア半島

711年に [ 1.ウマイヤ ] 朝によって [ 2.西ゴート ] 王国が滅ぼされたのち,イベリア半島はイスラームの支配下に置かれた。これに対してキリスト教徒が,対イスラーム戦である [ 3.国土回復運動(レコンキスタ) ] を行った。この過程でアラゴン王国, [ 4.カスティリャ ] 王国が建国され,[ 4 ]王国から1143年に [ 5.ポルトガル ] 王国が独立した。[ 4 ]王女 [ 6.イサベル ] とアラゴン王子 [ 7.フェルナンド ] の結婚により,1479年に両国は統合されて [ 8.スペイン ] 王国が成立した。共同統治を行った2人は,1492年にイベリア半島最後のイスラーム王朝である [ 9.ナスル ] 朝の都 [ 10.グラナダ ] を陥落させて[ 3 ]は終結した。