カテゴリー別アーカイブ: ビザンツ帝国と東欧

III-56. ビザンツ帝国

ビザンツ帝国は,東ローマ帝国の別称。首都 [ 1.コンスタンティノープル ] の旧名が [ 2.ビザンティウム ] であり,東ローマ帝国で7世紀にギリシア化がすすんだために「ビザンツ帝国」と呼ばれるようになった。ビザンツ帝国は西ヨーロッパと異なり,ゲルマン人の大移動で大きな打撃を受けなかったため商業と貨幣経済は衰えることはなかった。また,ローマ帝政末期以降の官僚制にもとづく皇帝専制支配が維持されていた。中世の西ヨーロッパにおいては教皇と皇帝の二つの権力が並び立って争ったが,ビザンツ帝国では皇帝が [ 3.ギリシア正教会 ] を直接支配していた。これを [ 4.皇帝教皇主義 ] という。13世紀前半の第 [ 5.] 回十字軍により[ 1 ]が占領され,ビザンツ帝国は一時中断した。その後復活したが,以前の繁栄はもどらず, [ 6.1453 ] 年にオスマン帝国の [ 7.メフメト2世 ] により滅ぼされた。

III-57. ユスティニアヌス帝

ユスティニアヌス帝は,6世紀半ばのビザンツ皇帝。北アフリカの [ 1.ヴァンダル ] 王国,イタリアの [ 2.東ゴート ] 王国を滅ぼし,イベリア半島の [ 3.西ゴート ] 王国から半島の一部を獲得して一時的に地中海の覇権を回復した。法学者トリボニアヌスに命じて『 [ 4.ローマ法大全 ] 』を編纂させ, [ 5.ハギア=ソフィア ] 聖堂を建立した。また,中国から蚕卵を得て [ 6.絹織物業 ] をおこした。
check_icon6ハギア=ソフィア聖堂の四囲に [ 7.ミナレット ] (光塔)が建てられているが,これはオスマン帝国が1453年にビザンツ帝国を滅ぼしたあとに建設したものである。

III-58. ビザンツ帝国の土地制度

ビザンツ帝国の初期には,土地に縛り付けられた小作人( [ 1.コロヌス ] )を使った大土地所有制度が行われていたが,イスラームなどの侵入に対処するために7世紀以降,帝国をいくつかの [ 2.軍管区 ] に分けてその司令官に軍事と行政の権限を与える[ 2 ]制(テマ制)がしかれた。[ 2 ]では農民に土地を与える代わりに兵役義務を課す [ 3.屯田兵制 ] が行われた結果,小土地所有の自由農民が増え,その租税収入が帝国の財政を支えた。11世紀以降,軍役奉仕と引き替えに貴族に国有地の管理権を与える [ 4.プロノイア ] 制が行われるようになって,帝国の分裂と衰退がすすんだ。

III-59. 聖像禁止令

[ 1.モーセ ] の十戒で偶像をつくることを禁止しているように,イスラーム教と同様にユダヤ教・キリスト教も偶像崇拝を禁止している。偶像を厳禁するイスラーム教に対抗することに迫られたビザンツ皇帝 [ 2.レオン(レオ)3世 ] は, [ 3.726 ] 年にイエスや聖母マリアなどを描いた [ 4.イコン ] (聖画像)を禁止する聖像禁止令を発布した。これをきっかけに,ゲルマン布教に[ 4 ](聖画像)を使っていたローマ教皇とビザンツ皇帝の間で,聖像崇拝論争が行われた。ローマ教皇は新たな保護者を求めてフランクの [ 5.カロリング ] 家に接近した結果,この対立は東西教会分裂の契機となった。その後,聖像禁止令自体は843年にビザンツ帝国において解除されたが, [ 6.1054 ] 年に東西教会は分裂した。

III-60. 中世のロシア(1)

ロシアの起源は,スウェーデン系 [ 1.ノルマン ] 人が建てた [ 2.ノヴゴロド国 ] の成立にある。ついで,その一部が南下してドニエプル川流域に [ 3.キエフ ] 公国を建てたが,両国はまもなくスラヴ化した。10世紀末に[ 3 ]大公 [ 4.ウラディミル(ウラジーミル)1世 ] がギリシア皇帝の妹と結婚し,ギリシア正教に改宗した結果,ロシアのビザンツ化が進んだ。その後,貴族が農民を [ 5.農奴 ] 化して大土地所有制を広めると,国内は分裂するようになった。

III-61. 中世のロシア(2)

13世紀に [ 1.バトゥ ] の率いるモンゴル人が侵入し, [ 2.キプチャク=ハン ] 国を建てると,ロシアはその後約240年間モンゴルの支配に服した(「タタールのくびき」)。15世紀に [ 3.モスクワ大公国 ] が台頭し,1480年に大公 [ 4.イヴァン3世 ] のときにモンゴル支配から脱した。彼はビザンツ最後の皇帝の姪と結婚し,ローマ帝国の後継者を自ら任じ,皇帝の称号である [ 5.ツァーリ ] を初めて用いた。
check_icon6ツァーリはローマ帝国で皇帝の称号として使われていた「カエサル」のロシア語の形である。16世紀の [ 6.イヴァン4世 ] のときに正式の称号となった。またモスクワは,ローマ・コンスタンティノープルにつぐ「第3のローマ」と称された。

III-62. 西スラヴ人

ポーランド人・チェック人・スロヴァキア人からなる西スラヴ人は,西ヨーロッパの影響を受けて [ 1.ローマ=カトリック ] に改宗した。ポーランド人は,ドイツ騎士団に対抗するためバルト語系の [ 2.リトアニア ] 人と合体して [ 3.ヤゲウォ(ヤゲロー) ] 朝[ 2 ]=ポーランド王国をつくり,15世紀に強大化した。チェック人は,10世紀に [ 4.ベーメン(ボヘミア) ] 王国を形成したが,11世紀以降, [ 5.神聖ローマ ] 帝国に編入された。

III-63. 南スラヴ人

南スラヴ系のセルビア人は [ 1.ビザンツ ] 帝国に服属し, [ 2.ギリシア正教 ] に改宗したが,12世紀に独立してセルビア王国を建設した。その後,14世紀末以降, [ 3.オスマン ] 帝国の支配下に置かれた。旧ユーゴスラヴィア北西部に居住する [ 4.クロアティア ] 人・ [ 5.スロヴェニア ] 人はフランク王国の影響下で [ 6.ローマ=カトリック ] に改宗した。

III-64. 非スラヴ系諸民族

アジア系遊牧民の [ 1.ブルガール ] 人は7世紀にバルカン半島北部で第1次 [ 2.ブルガリア ] 帝国を建国し,その後スラヴ化して [ 3.ギリシア正教 ] に改宗した。その後,ビザンツ帝国に併合されたが,12世紀に再び独立して第2次 [ 4.ブルガリア ] 帝国を建国したが,14世紀に [ 5.オスマン ] 帝国に併合された。オットー1世に敗れた [ 6.マジャール ] 人はパンノニアに定住し,10世紀末に [ 7.ハンガリー ] 王国を建国し, [ 8.ローマ=カトリック ] を受け入れたが,16世紀に [ 9.オスマン ] 帝国の支配下に入った。ラテン系のルーマニア人は14世紀にワラキア公国とモルダヴィア公国を建てたが,15世紀にオスマン帝国に服属した。