カテゴリー別アーカイブ: 主権国家体制と絶対王政

IV-37. イタリア戦争と主権国家体制

1494年にフランス王シャルル8世がイタリアに侵入すると,神聖ローマ皇帝・スペイン王などがこれに対抗して, [ 1.イタリア ] 戦争が勃発した。この戦争は,イギリスなども巻き込み展開されたが,1559年のカトー=カンブレジ条約によってフランスがイタリア進出を断念することで終結した。[ 1 ]戦争以降,戦争は長期化・大規模化したため,各国は行政組織を整備し,国内を一元的に支配する体制を強めた。この過程で,中世の封建的主従関係の下で人的な結合からなる封建国家とは異なる,明確な国境で囲まれた領域をもち,君主が国を代表する体制をつくるようになった。このような国家を, [ 2.主権国家 ] とよび,近代国家の原型となった。
check_icon6イタリア戦争は,イタリアの荒廃を招き,イタリア=ルネサンスが衰退した。また,フランス王フランソワ1世と戦うために皇帝カール5世がドイツを不在にしたことは,ルター派の伸張にもつながった。

IV-38. 絶対王政

主権国家の形成期に,スペイン・フランス・イギリスで形成された強力な国王による統治体制を [ 1.絶対王政 ] と呼ぶ。[ 1 ]は, [ 2.官僚 ] 制度と [ 3.常備 ] 軍を権力の基盤とした。だが,ギルドや貴族といった中世以来の職能団体や身分制度が残っており,国王はこれらの団体を認めた上で統制した。免税特権をもつ聖職者や貴族の勢力に対抗するため,国王は大商人などに経済上の独占権を与えるなどして,協力関係を築いた。[ 1 ]では,財源を確保するために,国家が積極的に経済活動に関与する [ 4.重商主義 ] 政策がとられた。また,[ 1 ]を正当化するイデオロギーとして,王権は神から授かったもので人民に拘束されないとする [ 5.王権神授説 ] が唱えられた。
check_icon6以前は,絶対王政は国王が専制的な権力をふるったという立場をとっていたが,現在では国王の権力は制限的なものであったと考えられている。

IV-39. 重商主義

絶対王政期に,国家が経済に介入して国を富ませようとする経済政策が [ 1.重商主義 ] である。金や銀そのものを富と考えてそれを取り込もうとする重金主義,貿易黒字の拡大をめざす貿易差額主義,国内の輸出産業の保護を目指す産業保護主義などの形で展開された。重商主義を批判した経済思想が『経済表』を著した [ 2.ケネー ] [ 3.重農主義 ] である。

IV-40. スペインの繁栄(1)

[ 1.1516 ] 年に [ 2.ハプスブルク ] 家の [ 3.カルロス1世 ] がスペイン王について,スペイン=[ 2 ]朝が始まった。[ 3 ]は1519年に [ 4.カール5世 ] として神聖ローマ皇帝にも選出された。[ 3 ]の治世の大半は,イタリア戦争における [ 5.フランス ] との戦いや,オスマン帝国との戦いに費やされ,ラテンアメリカから流入する銀は戦争と宮廷の維持に費やされ,財政が破綻して退位した。1556年に即位した[ 3 ]の息子 [ 6.フェリペ2世 ] のもとでスペインは全盛期を迎えた。
check_icon61516年にはトマス=モアの『ユートピア』も出版された。ゴロで「イチゴ色スペイン=ハプスブルク朝,ユートピア」と覚えておこう。

IV-41. スペインの繁栄(2)

スペインの全盛期は1556年に即位した [ 1.フェリペ2世 ] のもとで迎えられた。 [ 2.1571 ] 年の [ 3.レパント ] の海戦でオスマン海軍を破った[ 1 ]は,1580年に [ 4.ポルトガル ] 王位を兼任し,その海外植民地も手に入れ,「 [ 5.太陽のしずまぬ国 ] 」を実現した。だが,オランダの独立運動は大きな打撃となり,またラテンアメリカから銀をもたらすスペイン船を襲うイギリスの [ 6.ドレーク ] らの [ 7.私拿捕船 ] の活動も打撃を与えた。オランダの独立を支援するイギリスを討つために派遣された [ 8.無敵艦隊(アルマダ) ] が,1588年にイギリスに敗れたのちにスペインの世界帝国は急速に衰退した。

IV-42. オランダ独立戦争(1)

ネーデルラントは,現在のオランダにあたる北部 [ 1.] 州と,現在のベルギーにあたる南部 [ 2.10 ] 州からなる。商業の発達したネーデルラントにはカルヴァン派の新教徒 [ 3.ゴイセン ] が多かったが,スペイン王 [ 4.フェリペ2世 ] がこの地にもカトリックを強制し,自治権を奪おうとしたため,1568年に [ 5.オラニエ公ウィレム ] を指導者としてオランダ独立戦争が始まった。カトリック教徒が比較的多かった南部[ 2 ]州はスペインの支配下にとどまったが,北部[ 1 ]州は1579年に [ 6.ユトレヒト ] 同盟を結んで抵抗を続け, [ 7.1581 ] 年に [ 8.ネーデルラント連邦共和国 ] として独立を宣言した。
check_icon6北部7州で最も有力な州がホラント州であったことから,「オランダ」の名称ができた。

IV-43. オランダ独立戦争(2)

  [ 1.1581 ] 年に [ 2.ネーデルラント連邦共和国 ] として独立を宣言したオランダを支援するイギリスを攻撃するため,スペインは [ 3.1588 ] 年に [ 4.無敵艦隊(アルマダ) ] を派遣したが,イギリスに敗れて覇権を失った。1602年に [ 5.東インド ] 会社を設立して国力を強めたオランダは,1609年の休戦条約で事実上独立をかちとり,1648年に結ばれた三十年戦争の講和条約 [ 6.ウェストファリア ] 条約で国際的に独立が認められた。

IV-44. オランダの繁栄(1)

16世紀前半に国際金融の中心として繁栄していたベルギー北部にある [ 1.アントウェルペン(アントワープ) ] がオランダ独立戦争中の1585年にスペイン軍によって占領されると,多くの商工業者がオランダの [ 2.アムステルダム ] に亡命し,17世紀前半に[ 2 ]は国際金融の中心として繁栄した。オランダは [ 3.バルト ] 海における [ 4.中継 ] 貿易で富を蓄え,1602年には [ 5.東インド ] 会社を設立してアジアに進出した。ジャワの [ 6.バタヴィア ] (現在のジャカルタ)を根拠地にポルトガル商人を排除し,さらに1623年の [ 7.アンボイナ ] 事件を契機に [ 8.モルッカ ] 諸島からイギリス勢力を駆逐して香辛料貿易を独占した。また,アフリカ南端に [ 9.ケープ ] 植民地を建設して,アジアへの中継地とした。

IV-45. オランダの繁栄(2)

オランダは,日本の鎖国体制が完成したのちも長崎の出島を通じての対日貿易を許され,さらに中国との貿易においても優位に立った。オランダは,一時台湾も占領したが,1661年に [ 1.鄭成功 ] によってやぶられて台湾を失った。また,1621年に [ 2.西インド ] 会社を設立して,ヨーロッパ・西アフリカ・アメリカを結ぶ [ 3.三角貿易 ] に乗り出した。オランダは,北アメリカ東岸にニューネーデルラント植民地を創設して, [ 4.ニューアムステルダム ] を建設した。こうして,17世紀前半にオランダは繁栄したが,17世紀後半におきた [ 5.イギリス=オランダ ] 戦争に敗れて海上覇権をイギリスに奪われた。
check_icon617世紀は寒冷化が進み,三十年戦争・イギリス革命・フロンドの乱など多くの戦争や内乱が勃発し,「17世紀の危機」と呼ばれる。しかし,オランダは,香料貿易やバルト海貿易で優位に立ったことでこの時期としては,例外的な繁栄を見せた。