の『世界の記述(東方見聞録)』は繁栄する先進的なアジアへのあこがれをヨーロッパ人に抱かせた。イタリア商人に独占されていた東方貿易に頼らず,アジアに直接行って胡椒などのを手に入れて莫大な富をえようという欲求は,新たな財源を求める君主を動かした。また,東方にはキリスト教国があるという伝説が西ヨーロッパにはあり,オスマン帝国をはさみうちにするためにそれを探そうという動きもあった。特に,国土回復運動()でイスラーム教徒と戦ってきたスペインとポルトガルは海外布教への意欲が強かった。また,の改良により,遠洋航海が可能となってきた。これらが,大航海時代の背景である。
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IV-2. 大航海時代:インド航路の開拓
インド航路の開拓は,がリードした。がインド航路の開拓を奨励し,1445年に[ 1 ]の探検隊はアフリカ最西端のヴェルデ岬に到達した。年にはがアフリカ最南端に到達し,その地は国王によりと名付けられた。年には,がインド西岸のに到達し,インド航路が開かれた。国がリードしたインド航路の開拓によって,香辛料の直接取引が可能となり,[ 1 ]王室には莫大な利益がもたらされ,首都のは一時世界商業の中心となった。
インド洋をめぐる制海権の争いは,1509年にインド西岸で戦われたディウ沖海戦を勃発させ,ポルトガルがマムルーク朝艦隊を破った。
IV-3. 大航海時代:アメリカの「発見」
インド航路の開拓においてポルトガルに遅れたの女王は,東に向かったポルトガルとは逆方向のでインドへ向かおうとするを支援した。ジェノヴァ生まれの[ 4 ]は,「大地は球形で西に向かう方がインドへの近道だ」というフィレンツェの天文学者の説を信じ,アジアを目指して西に向かって航海し,年にカリブ海の島に到達した。[ 4 ]はその土地をインドの一部であると誤解したため,その土地の先住民をと呼び,また到着した地は「西インド諸島」と呼ばれるようになった。
コロンブスは「インドに到達した」と主張したが,ポルトガルは何らかの形でコロンブスが到達した地はインドではないと確信したようで,そのまま東回りのインド航路開拓を目指した結果,1498年にヴァスコ=ダ=ガマがインド航路を開拓した。
IV-4. 大航海時代:スペインとポルトガルによる世界分割
ポルトガルは東へ,スペインは西に向かったことを受けて,1493年にローマ教皇が両国を調停して,大西洋にひかれた子午線の東側をポルトガル領,西側をスペイン領とする植民地分界線(教皇子午線)が設定された。翌1494年に両国は協議して,前年に設定された教皇子午線を西方に移すことに同意し,条約を結んだ。この新たにひかれた分界線によれば南アメリカの一部がポルトガル領となっており,年にポルトガルのがブラジルに漂着すると,ポルトガルは[ 1 ]条約をもってブラジルをポルトガル領とした。
人名「カブラル」の中には「ブラジル」の中の3文字が含まれているよ。
IV-5. 大航海時代:アメリカ探検
イタリア人は4回南アメリカを探検し,コロンブスが到達した地はアジアとは別の大陸であることを明らかにした。この新大陸は,彼の名にちなみ「アメリカ」と名付けられた。スペイン人はパナマ地峡を横断して,ヨーロッパ人としては初めて太平洋に到達した。英王ヘンリ7世とヘンリ8世の後援で,イタリア人父子は北アメリカを探検した。
IV-6. 大航海時代:世界周航
ポルトガル人はスペイン王の命を受けて,1519年に香料諸島ともいわれる諸島を目指して回りの大航海に出発した。[ 1 ]自身はのちにスペイン領となるで死んだが,彼の部下がアフリカ回りで帰国して世界周航を成し遂げた。イギリスの私拿捕船(私掠船)の船長であるは英王の後援を得て,1577~80年に[ 1 ]海峡・太平洋・喜望峰経由でイギリス人として初めて世界周航に成功した。
私拿捕船(私掠船)とは,国家から免許状をもらって敵国の船や町を襲う海賊である。ドレークはアメリカ大陸から本国へ向かうスペイン船団を襲い,銀を奪った。
IV-7. アメリカ大陸の古代文明:特色
アメリカ大陸の文明を築いたのは,ベーリング海峡がまだ地続きだった氷河時代に渡来したモンゴロイド系と考えられるである。彼らは中央アメリカと南アメリカに多くの高度な都市文明を築いた。これらの古代文明はアメリカ原産の栽培の上に成立した。アメリカ原産の他の食物として,のちにヨーロッパ人の主食となる,トマト・とうがらし・かぼちゃがあり,嗜好品ではタバコがある。アメリカ大陸の古代文明では金・銀・青銅器は持っていたが,はなかった。また,大型家畜のや牛はおらず,車輪もなかった。
IV-8. アメリカ大陸の古代文明:メソアメリカ文明
メキシコ高原から中央アメリカ一帯におこった古代文明をメソアメリカ文明(中央アメリカ文明)という。メキシコ湾岸地方においては,紀元前に巨石人頭像で知られる文明が成立した。メキシコ高原では,前1世紀から後6世紀にかけて絵文字や石造りのピラミッドなどを残した文明がおこった。またユカタン半島では,前1000年頃から16世紀頃まで文明が栄え,石造りの階段ピラミッド・進法・暦が用いられた。メキシコ高原では,14世紀にを都とする王国が成立し,象形文字・ピラミッド・[ 5 ]暦を用いていたが,1521年にスペインのが滅ぼした。
IV-9. アメリカ大陸の古代文明:アンデス文明
アンデス高地では前1000年頃に北部に文化が成立したのち多くの王国が現れた。15世紀には,を都とする帝国が成立した。文字はなく,縄の結び方で情報を伝える(結縄)が使用されていた。この帝国は都市遺跡であるを残したことでも知られるが,1533年にスペインのによって滅ぼされた。
IV-10. スペインによるアメリカ支配
スペインの「征服者」(コンキスタドール)はキリスト教布教の名の下に侵略を行った。メキシコ高原では1521年にが王国を滅ぼし,アンデス高地では1533年にが帝国を滅ぼした。スペイン国王は,征服地の先住民のキリスト教化と保護を条件に,植民者が先住民を労働力として使役することを認める制を採用した。[ 5 ]制の下,スペイン人植民者はを酷使し,またヨーロッパからもたらされた天然痘などの疫病のために,[ 6 ]の人口が激減した。これに対して,ドミニコ派修道士であるのように[ 6 ]の奴隷化を防止しようとした人物もいた。なお,[ 6 ]の人口が激減したことを受けて,大西洋三角貿易の一環として西アフリカから黒人奴隷がもたらされた。
(1)コルテス:アステカ,ピサロ:インカの組合せは文字数が同じであると覚えておこう。(2)[ 5 ]制は,17世紀になるとインディオや黒人奴隷を使役するアシエンダ(大農園)制に移行した。