大航海時代の影響で16世紀は経済成長が著しい時代で人口も激増したが,17世紀に入ると太陽活動が低下して気候が寒冷化したことによって,凶作・不況が進行し,人口も停滞した。こうした社会状況を背景に17世紀には,各地で戦争・革命・反乱が多発した。イギリスでは,革命と革命が起こった。フランスでは,1648年にの乱が起き,ドイツでは1618~48年に戦争が戦われてドイツは荒廃した。ロシアでは,1670年に農民反乱であるの乱が勃発した。また,宗教的な対立の激化を背景に,17世紀にはがさかんに行われた時代でもあった。全ヨーロッパ的におきた混乱・危機を「17世紀の危機」という。
カテゴリー別アーカイブ: 「17世紀の危機」と三十年戦争
IV-64. 三十年戦争(1)
1555年のの宗教和議以降も,カトリックとプロテスタントの対立は続いていたが,年にの新教徒がハプスブルク家による旧教化政策に反抗したことをきっかけに戦争が勃発した。神聖ローマ帝国内の宗教戦争として始まった[ 4 ]戦争は,やがて宗派を越えた国際的な紛争に発展した。スペインは旧教のハプスブルク家の皇帝を支援し,新教国が介入してきたが,[ 5 ]は皇帝側の傭兵隊長に敗れた。その後,スウェーデン国王が新教側に立って参戦し,さらに旧教国フランスが新教側に立って参戦した。[ 4 ]戦争は,ハプスブルク家とフランスの家との戦いでもあった。
IV-65. 三十年戦争(2)
三十年戦争は,年に結ばれた条約で終結した。講和会議には多数の国が参加し,国際条約のさきがけとなったこの条約で,体制が確立した。ドイツの諸侯(領邦)にほぼ完全な主権が承認された結果,は事実上解体した。宗教面では,の宗教和議が再確認された上で,派も公認された。略奪を行うの戦いであった三十年戦争で,ドイツは荒廃し,人口も激減して長らく停滞することとなった。
神聖ローマ帝国の名称はウェストファリア条約以降も残ったが,1806年にハプスブルク家が帝位を辞退することによって名目上も消滅した。
IV-66. 三十年戦争(3)
三十年戦争の講和条約条約で,スウェーデンはを獲得し,海の周辺をほぼ支配し,「[ 3 ]帝国」を成立させた。フランスはを獲得し,スペインからのの独立,オーストリアからのの独立が国際的に認められた。この結果,フランスの家はスペイン・オーストリアの両家に対して優位に立った。