1870年代から第一次世界大戦までの国際体制はドイツを軸に段階を追って変わる。孤立化をめざしたビスマルク外交(ビスマルク体制)は80年代に大きく変わる(参照:VI-19,VI-20)。90年にビスマルクが辞任し,独露間のが更新されなくなると,ロシアが[ 1 ]に接近してが成立(1894年)し,独・墺・伊のと対立するようになった(参照:VI-21)。世紀が転換すると,イギリスが重要なプレーヤーとなり,1902年にロシアに対抗してが,04年に,07年にが結ばれた(参照:VI-26)。[ 3 ]・[ 6 ]・[ 7 ]によって生まれた対ドイツの協力関係をと呼び,ここに[ 8 ]と[ 4 ]が対立する第一次世界大戦における国際関係が完成した。
19世紀後半にイギリスは強大な経済力と軍事力を背景に,他国と同盟を結ばず「」と自画自賛していた。しかし,19世紀末に「パクス=ブリタニカ」に陰りが見える(参照:VI-1)と,1902年に[ 5 ]を結び「[ 9 ]」の状態を放棄した。
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VI-35. バルカン問題(1)
バルカン半島では1870年代からオーストリアとロシアの対立があらわとなった(参照:VI-19)。オーストリアは1878年に開催された会議で,の行政権を獲得した。1908年にオスマン帝国で革命が勃発すると,オーストリアは[ 2 ]を併合した。これに対し,スラヴ系住民の併合をねらうがオーストリアへの反感を強めていった。ここに,ロシア・[ 4 ]の主義と,ドイツ・オーストリアが掲げる主義が激しく対立するようになった。
[ 3 ]革命を機に,がオスマン帝国からの独立を宣言した。
VI-36. バルカン問題(2)
オーストリアのバルカン半島進出に対し,ロシアはセルビア・・モンテネグロ・ギリシア4か国にを締結させた。リビアをめぐって1911年におきた戦争に乗じて,[ 2 ]は1912年にオスマン帝国に宣戦し,翌年勝利してバルカン半島のオスマン帝国領の大半を奪った(第1次バルカン戦争)。だが,領土配分をめぐって[ 1 ]と他の諸国との対立がおき,第2次バルカン戦争が勃発した。この戦争に敗れた[ 1 ]はドイツ・オーストリア側に接近した。列強の利害と民族・宗教が複雑にからみあった当時のバルカン半島は「」と呼ばれた。
VI-37. 第一次世界大戦の勃発
オーストリアの帝位継承者夫妻がボスニアの州都で人青年に暗殺されると,オーストリアはドイツの支持のもと,[ 2 ]に宣戦した。これに対し,ロシアが[ 2 ]支援を表明すると,ドイツはロシアとフランスに宣戦し,事前の計画に従って中立国を侵犯してフランスに侵入した。イギリスは,ドイツによる[ 3 ]の中立侵犯を理由にドイツに宣戦し,英・仏・露などの側と独・墺などの側に分かれて第一次世界大戦が戦われることとなった。
社会主義政党の国際組織であるは大戦が勃発するまでは反戦を掲げていたが,大戦が勃発すると参戦国の多くの社会主義政党が自国政府を支持したため,[ 6 ]は事実上解体した。
VI-38. 協商国(連合国)vs同盟国
日本はを口実に協商国(連合国)側に立って参戦した。イタリアは「」について秘密条約を結び,1915年に三国同盟を離脱して協商国(連合国)側についた。アメリカは,ドイツが作戦を宣言すると,1917年に協商国(連合国)側に立って参戦した。三国同盟にもとづく同盟国側においてはイタリアが離脱したが,帝国とが同盟国側に立って参戦した結果,計4か国となった。
第一次世界大戦に参戦した日本は,中国内にあるドイツの租借地(青島)と太平洋上のドイツ領の赤道以北を占領した。大戦後,赤道以北の[ 8 ]は国際連盟から統治を委託されたとして日本が統治した。
VI-39. 第一次世界大戦の経過
中立国を通過してフランスに侵入したドイツ軍の進撃は,の戦いで阻止され,西部戦線は膠着し,壕をほりあって対峙するに移行した。一方東部戦線では1914年,ドイツ軍がの戦いでロシア軍を破り,ロシア領内に進撃したが,戦線が広大な地域に広がり,ここでも戦争は長期化した。
[ 4 ]の戦いでロシア軍を破って国民的英雄となったは,1925年にヴァイマル共和国第2代大統領となった。
VI-40. 第一次世界大戦における戦争の変革(1)
第一次世界大戦は,それまで考えられていなかった物量戦・消耗戦となった。そこで参戦各国は,国力すべてを戦争に向けて動員する体制をしいた。労働力不足を補うため,女性を軍需工場に動員し,食料の配給制などが実施された。イギリス・フランスは,自国の植民地からも労働力や兵員を動員した。
第一次世界大戦時における女性の社会進出は,大戦後に女性参政権が認められる背景となった。
VI-41. 第一次世界大戦における戦争の変革(2)
第一次世界大戦では機関銃が威力を発揮したため,防御側が有利となり,両軍は塹壕を掘り合って対峙する塹壕戦となった。この状況を打破しようと,新兵器が登場した。1903年にが初めて初飛行させた飛行機は大戦中に発達し,偵察・爆撃だけでなく,戦闘機による空中戦も行われるようになった。1915年,イープルの戦いでドイツ軍が初めてを用いた。1916年のソンムの戦いでは,イギリス軍が初めてを使用した。飛行機・[ 2 ]・[ 3 ]といった新兵器の登場で戦争の形態は大きく変化した。
VI-42. 第一次世界大戦中のイギリスの秘密外交
イギリスは1915年,オスマン帝国の背後を攪乱(かくらん)させようと,アラブ人がオスマン帝国への反乱をおこすことを条件にアラブ国家の独立を認めるを結んだ。だがイギリスは翌年,フランス・ロシアとオスマン帝国領を分割するを結び,さらに1917年にはユダヤ人の協力を得るために,ユダヤ人のパレスチナ復帰運動を援助することを約したを発した。これらの協定・宣言は矛盾した内容を含んでおり,現在に至るまでのユダヤ人とアラブ人との紛争の原因をつくった。だが,内容は公表されず,当事者しか知り得ないとして結ばれたため,締結直後には矛盾は明らかにならなかった。だが,ロシア十月革命(十一月革命)で成立した政権が[ 2 ]などを暴露すると,連合国の戦争遂行と戦後の状況に大きな影響を及ぼした。
VI-43. 第一次世界大戦における1917年の意義
第一次世界大戦の転換点は,1917年であった。アメリカの大統領は開戦以来戦争への不参加を表明していたが,1917年にドイツが作戦を宣言すると,ドイツに宣戦して側に立って参戦した。これにより,[ 3 ]側は戦いを有利に進められるようになった。一方,ロシアでは1917年に2度にわたる革命がおき,政権が成立した。[ 4 ]政権は全交戦国に向けて,「」を出して,即時停戦と無併合・無賠償・の原則による講和を呼びかけた。連合国がこれを無視したため,[ 4 ]政権はサイクス=ピコ協定などのを暴露した。これは[ 3 ]に大きな衝撃を与え,[ 1 ]大統領がを発表する要因となった。