カテゴリー別アーカイブ: 帝国主義期のロシア

VI-23. 帝国主義期のロシアの内政(1)

1861年に [ 1.アレクサンドル2世 ] [ 2.農奴解放令 ] を発布して以降,ロシアでは資本主義が発展した。1890年代になると [ 3.露仏同盟 ] の成立(1894年)を背景にフランス資本が導入され,工業化が進展した。91年から建設が始まった [ 4.シベリア ] 鉄道は国内開発を進めただけでなく,東アジア進出の手段となった。ツァーリズムによる専制政治に対する批判も強まり,マルクス主義をとる [ 5.ロシア社会民主労働党 ] や,ナロードニキの流れを引く [ 6.社会革命党 ] が結成された。[ 5 ]は創設直後に分裂した。少数の革命家からなるのが, [ 7.レーニン ] が率いた,「多数派」を意味する [ 8.ボリシェヴィキ ] である。一方,大衆に基礎をおき,ゆるやかな革命をすすめようとするのが, [ 9.プレハーノフ ] らに率いられた,「少数派」を意味する [ 10.メンシェヴィキ ] である。

VI-24. 帝国主義期のロシアの内政(2)-第1次ロシア革命-

1905年1月, [ 1.日露戦争 ] の戦況が不利になるなか,飢餓の救済と和平を皇帝に訴えようとした,聖職者ガポンに率いられた民衆に軍隊が発砲した [ 2.血の日曜日事件 ] がおこった。これを機に各地にストライキが広がり,労働者は自らの代表を選んで [ 3.ソヴィエト ] (評議会)を組織した。皇帝 [ 4.ニコライ2世 ] [ 5.ポーツマス ] 条約で日本と講和する一方, [ 6.十月宣言 ] を発し,国会( [ 7.ドゥーマ ] )の開設を約束し,自由主義者の [ 8.ウィッテ ] を首相として事態を沈静化させた。だが,翌06年に [ 9.ストルイピン ] が首相になると,自由主義的改革は後退させられた。[ 9 ]は支持基盤を広げるため,農村共同体( [ 10.ミール ] )を解体して自作農を創出しようとしたが,多数の農民が貧困化して社会不安が高まった。
check_icon6[ 6 ]発布後に自由主義者は [ 11.立憲民主党 ] (カデット)を結成し,開設された国会では第一党となった。

VI-25. 帝国主義期のロシアの進出

中央アジアにおいてロシアは, [ 1.ブハラ=ハン ] 国・ヒヴァ=ハン国・ [ 2.コーカンド=ハン ] 国を併合してロシア領 [ 3.トルキスタン ] を形成し,81年には清と [ 4.イリ ] 条約を結んで,新疆への進出を図った。ロシア=トルコ(露土)戦争後に開かれた [ 5.ベルリン ] 会議(1878年)でロシアのバルカン半島への進出が阻止されると,中央アジア・東アジア進出を図ったロシアとイギリスが対立するようになった。中央アジア方面においてロシアは,イランと [ 6.チベット ] をめぐってイギリスと対立した。

VI-26. 帝国主義期のロシアの進出(2)

東アジア方面におけるロシアの進出は,日本・イギリスと対立した。 [ 1.義和団事件 ] (1900-01年)後に中国東北地方(満州)からロシア軍が撤退しなかったため,1902年に [ 2.日英同盟 ] が結成され,1904年に [ 3.日露戦争 ] が勃発した。[ 3 ]に敗北したロシアは,東アジア進出を断念し,イギリスに接近した。ロシアは,1907年に [ 4.英露協商 ] を結び,バルカン半島進出へ再び転じることとなったが,これは第一次世界大戦勃発の背景となった。
check_icon6(1)[ 4 ]では,イラン北部をロシア,イラン南東部をイギリスの勢力範囲とし, [ 5.アフガニスタン ] はイギリスの勢力範囲, [ 6.チベット ] に関しては清の宗主権を認め,内政不干渉を守るとされた。(2)ロシアが東アジア進出を断念した結果,日本は1907年に,満洲における日露両国の権益を調整(北部はロシア,南部は日本)する [ 7.日露協約 ] を結ぶとともに,ロシアと同盟国のフランスとの間にも日仏協約を結び,日本の韓国における優越と,フランスのインドシナにおける優越を相互に承認した。