カテゴリー別アーカイブ: 帝国主義期のイタリアとアフリカ分割

VI-32. 帝国主義期のイタリアの進出

イタリアはアフリカ大陸北東部の「アフリカの角(つの)」と呼ばれる [ 1.ソマリランド ] と,紅海に面している [ 2.エリトリア ] を獲得し,さらに1895~96年に [ 3.エチオピア ] に侵入しようとしたが, [ 4.アドワ ] の戦いで敗れて失敗した。イタリアは1911~12年に [ 5.イタリア=トルコ ] 戦争をおこし,オスマン帝国から [ 6.トリポリ ] ・キレナイカを獲得し,この地域を古名の [ 7.リビア ] と改称した。
check_icon6(1)[ 1 ]はフランス領・イギリス領・イタリア領に分割された。フランス領[ 1 ]はジブチである。(2)イタリアがイタリア=トルコ戦争を起こした1911年には,第2次モロッコ事件(アガディール事件)によって英・仏とドイツが対立していたことに注意!!

VI-33. 列強によるアフリカ分割

19世紀半ばまでアフリカの内陸部はヨーロッパにとって未知の地域であったが,イギリス宣教師 [ 1.リヴィングストン ] と彼を捜索にいったアメリカのジャーナリスト [ 2.スタンリー ] の探検により,大陸内部の状況が明らかになった。ベルギー国王 [ 3.レオポルド2世 ] は[ 2 ]を援助して [ 4.コンゴ ] を植民地化しようとした。この問題をめぐり,ドイツ帝国宰相 [ 5.ビスマルク ] の提唱で1884~85年に [ 6.ベルリン会議 ] が開催され,最初に占領した国が領有できるとする「先占権(せんせんけん)」がアフリカの植民地化の原則として承認された。その後,ヨーロッパ列強がアフリカを分割し,20世紀初頭には [ 7.エチオピア ] 帝国と,アメリカ合衆国の解放奴隷がつくった [ 8.リベリア ] 共和国を除いて,アフリカは列強の支配下に置かれた。
check_icon6[ 4 ]は, [ 9.コンゴ自由国 ] として[ 3 ]の私領とされたが,[ 3 ]の苛酷な統治が国際的にも問題とされ,1908年にベルギーの直轄植民地となった。