1890年代にイギリスを追い抜いて世界最大の工業国となったアメリカでは,同一業種の企業が単一の巨大資本に吸収・合併される企業合同()が発展し,巨大企業による独占的支配体制が打ち立てられた。独占の弊害を防止しようと反[ 1 ]法が制定されたが,独占は阻止できなかった。マッキンリー暗殺後に副大統領から昇格したのは独占規制や労働条件を改善するを唱えた。また,1913年に就任したの大統領は「新しい自由」を掲げ,反[ 1 ]法の強化や労働者保護立法などを実施した。
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VI-28. メキシコ革命
フアレス大統領は,フランス皇帝のメキシコ出兵(1861~67)による干渉を退け,自由主義的改革を進めた。その後,大統領による長期間の独裁政治が続いたが,1910年,自由主義者の指導による武装蜂起がおき,メキシコ革命が勃発した。南メキシコの農民指導者や北メキシコの農民指導者らも参加して[ 2 ]を追放した。その後,内乱に発展し,アメリカ軍の限定的な軍事介入もあったが,カランサ政権のもと1917年に民主的憲法が制定されてメキシコ革命は終結した。
VI-29. 帝国主義期のアメリカの進出(1)
1890年の国勢調査で(辺境)の消滅が宣言されたのち,アメリカでは海外進出を求める声が高まった。党の大統領は,のスペインに対する独立運動に乗じて,1898年に戦争をおこし,パリ条約によって,西太平洋方面にあると島を,およびカリブ海にあるを獲得した。また,同年ハワイを併合した。[ 4 ]に対しては,1901年に外交権を制約するなどのプラット条項を押しつけ,保護国化した。
ハワイにおいては,カメハメハ朝がハワイ王国を建てていたが,1893年に最後の女王がアメリカの圧力によって退位させられた。
VI-30. 帝国主義期のアメリカの進出(2)
1898年に列強が中国分割を行ったが,アメリカは同年戦争を戦っており,分割に乗り遅れた。そこでアメリカは1899-1900年,国務長官がを発し,門戸開放・・領土保全を提唱した。1900-01年の義和団事件においては,アメリカは戦争(1899-1902年)のため大量派兵ができなかった。
VI-31. 帝国主義期のアメリカの進出(3)-カリブ海政策-
アメリカは1889年,をワシントンで主催してラテンアメリカへの影響力を強めた。共和党の大統領はアメリカ=スペイン(米西)戦争でカリブ海のを獲得し,これ以降カリブ海と中米諸国に対するカリブ海政策が本格化した。つづく共和党の大統領は中米諸国に武力干渉を行う「」を展開した。1903年,をコロンビアから分離独立させたうえで運河地帯の租借権と工事権をえた。次の共和党のタフト大統領はドル外交を推進して経済進出を行った。つづく党の大統領のときに,[ 6 ]運河が完成した(1914年)。