前1200年頃に文明が突然滅亡して,その後ギリシアは約400年間ほど文字史料がないと呼ばれる混乱した時代に入った。この時代にギリシアは,時代に移行した。
(1)ミケーネ文明の崩壊の原因については,「海の民」の侵入などがあげられてはいるがはっきりはわかっていない。(2)ギリシア人は方言の違いから,イオニア人・アイオリス人・ドーリア人に分かれる。
カテゴリー別アーカイブ: 暗黒時代とポリスの成立
I-5. ポリスの成立
前1200年頃から約400年間ほどの時代を経たのち,世紀にポリスが成立した。貴族の指導のもと,(城山)と呼ばれる丘に神殿を建て,そこを中心にして,都市国家ポリスが生まれた。[ 3 ]のふもとには,交易・裁判・集会などが行われる公共広場()があった。ポリスは城壁に囲まれた市域だけをいうのではなく,周辺の田園地帯もポリスに含まれる。また政治的には,ポリスの成立期に,ギリシアは王政からへと転換する。
(1)ポリス市民は城壁の周辺に所有地をもっていた。それを「持ち分地」というが,くじで分配されたため,くじを意味するクレーロスと呼ばれる。(2)中国では,ポリスが成立した同時期の前770年に周が都をからに遷し,時代が始まった時期に当たる。
I-6. ギリシア人の同一民族意識
ギリシアの諸ポリスは対立・抗争を繰り広げ,統一国家を作ることはなかったが,民族としての同一意識は持っていた。ゼウスを主神とする12神の神話を共有し,自分たちのことを,異民族のことをと呼んで区別していた。また,4年ごとのの祭典や,のアポロン神の神託などでも共通意識を深めた。
[ 4 ]の祭典が開かれる際には,一切の戦いが休戦とされた。フランスのクーベルタンはこれを理想視し,国際オリンピック大会の開催を提唱し,1896年にアテネで第1回大会が開催された。しかし,現在のオリンピックは第一次世界大戦で一度,第二次世界大戦で二度開催されなかった。なお,1940年は東京大会の予定であった。
I-7. ギリシア人の植民活動
人口増加による土地不足や政治的対立を背景に,世紀からギリシア人は地中海や黒海で植民活動を行った。現在まで続いている都市も多く,は現在のイスタンブル,は現在のマルセイユ,は現在のナポリである。なお,植民市は,政治的には母市から独立していた。また同じ頃,表音文字である文字からがつくられた。
I-8. 植民活動による変化
前8世紀に始まる植民活動は,オリーブ油・ブドウ酒・陶器を輸出して穀物を輸入する貿易活動を活発化させた。さらに,前7世紀に小アジアで始められた金属貨幣を使うようになると,商工業が発達し,商業や手工業に携わって富裕になる平民も現れた。ポリスの国防は,高価な武具を身につけ騎兵として戦う貴族が担っていたが,商工業の発達の結果,武具が安価になると,平民の中でも富裕なものが武器を自分で買ってとして参戦するようになった。[ 2 ]が隊列を組んで戦うという長槍密集隊形戦術が優勢となってくると,貴族による政権独占も動揺した。
I-9. スパルタ
スパルタは,半島南部のラコニア平原にある人のポリス。先住のギリシア人を征服してできた征服型のポリス。征服された先住のギリシア人は,という隷属農民にされ,スパルタの完全市民(スパルティアタイ)が共有した。隷属農民の反乱に備えるため,独特の軍国主義と,市民の商工業活動を禁止して鎖国体制をとるの制がとられた。貢納・従軍義務を負わされたが,参政権はない不完全市民である(周辺民)が商工業に従事した。
スパルタは,ギリシアの他の地域とは異なり,例外的に穀物が自給可能であり,鎖国体制をとることが出来た。