カテゴリー別アーカイブ: 魏晋南北朝

IX-40. 魏晋南北朝の文化-仏教-

仏教は1世紀頃に中央アジア経由で中国へもたらされ,魏晋南北朝のころに社会一般に広まるようになった。4世紀初めに,西域の亀茲(クチャ)出身の [ 1.仏図澄(ブトチンガ) ] が洛陽に来て布教し,5世紀初めには西域の亀茲(クチャ)出身の [ 2.鳩摩羅什(クマラジーヴァ) ] が長安に迎えられて経典を漢訳した。また,東晋の僧 [ 3.法顕 ] は経典を求めて [ 4.グプタ ] 朝時代のインドへ西域経由の陸路で行き,海路で帰国し,のちに『 [ 5.仏国記 ] 』を著した。仏教の普及とともに華北で,多くの石窟寺院がつくられた。甘粛省の [ 6.敦煌(とんこう) ] では4世紀から莫高窟(ばっこうくつ)が開削された。仏教を国家的に保護した北魏の時代には,前期の都である平城近郊の [ 7.雲崗(うんこう) ] や,後期の都である洛陽近郊の [ 8.竜門 ] に石窟寺院がつくられた。しかし,北魏の第3代皇帝 [ 9.太武帝 ] は道教を国教化し,仏教を弾圧した(廃仏)。

IX-41. 魏晋南北朝の文化-道教-

道教は,仙人や不老不死を信じる [ 1.神仙思想 ] や老荘思想,さらに後漢末の [ 2.太平道 ] や五斗米道などの民間信仰が,仏教の影響を受けて大成された宗教である。道教の大成者として知られる北魏の [ 3.寇謙之 ] は,第3代皇帝 [ 4.太武帝 ] の信任を受け,国家公認の宗教として教団組織を整え,廃仏を行った。これ以降道教は広く普及し,不老長生と現世的利益を求めるその教えは民衆の間に浸透していった。

IX-42. 魏晋南北朝の文化-文学-

後漢末からの混乱で儒学・儒教の権威が失われ,貴族の間では道徳や規範にとらわれない精神の自由さが重んじられた。魏・晋の時代には,世俗を超越した [ 1.清談 ] が流行した。文学では,「帰去来辞(ききょらいのじ)」で知られる東晋の田園詩人とされる [ 2.陶潜(陶淵明) ] や,南朝宋の詩人で山水詩で知られる [ 3.謝霊運 ] が有名である。4字・6字の対句と韻を踏み,華麗な形式をもつ [ 4.四六駢儷体(しろくべんれいたい) ] (表示している駢の字は簡易慣用字体のもの,教科書を見て正確な字を確認すること)という文体が流行し,梁の [ 5.昭明太子 ] が編纂した『 [ 6.文選 ] 』にその代表的な作品がみられる。
check_icon6魏・晋の時代に[ 1 ]にふけったとされる阮籍(げんせき)ら7人を「竹林の七賢」というが,史実であるかどうかわからない。

IX-43. 魏晋南北朝の文化-書画・実用書-

絵画では,宮廷に仕える女性へのいましめを描いた [ 1.顧愷之(こがいし) ] の「 [ 2.女史箴図(じょししんず) ] 」が有名である。書では,「蘭亭序」で知られる東晋の書家である [ 3.王羲之 ] が有名である。北魏では,地理書の『 [ 4.水経注 ] 』や,中国最古の農書である『 [ 5.斉民要術 ] 』が著された。