中国の主要部は,華北・華中・華南という3つの地域に区分されるが,どの地域を指すかということに関しては明確なものではない。北部を流れる中国第2の大河である流域を華北という。中国南部の広東省・海南省・広西チワン族自治区の地域を華南というが,福建省を入れる場合もある。華中は漠然とした用語であり,[ 1 ]と中国第1の大河のにはさまれた地域を指す場合もあるし,[ 2 ]の中・下流域をさす場合もある。さらに,歴史的な用語として,「[ 2 ]以南の地域」を指すという語が用いられるが,この語は[ 2 ]下流域の江蘇省や浙江省などの地域を指す語として用いられることが多い。
カテゴリー別アーカイブ: 中国の古典文明
IX-2. 中国の風土
中国第2の大河である黄河の中・下流域は年間降水量が少なく,あわなどの雑穀を中心とした地帯である。これに対して,中国第1の大河である長江の中・下流域は地帯である。[ 1 ]地帯と[ 2 ]地帯を分ける線は,黄河と長江の中間にある大河のにほぼ重なる。
[ 3 ]は,1142年に南宋と金が結んだ和議において国境とされた。
IX-3. 中国古代文明
黄河流域でおこった最古の新石器文化は,黄河中流域に前5000~前4000年頃におこった文化である。この農耕文化は,素焼きの地に赤や黒などの顔料で文様をつけた(彩陶)を用い,豚・犬・鶏などの小型の家畜を飼育した。前2000年代には黄河下流域を中心に,文化がおこった。この文化は,薄手の黒色磨研土器であるを用い,牛・馬などの大型家畜も飼育し始めた。一方,[ 1 ]文化と同じ頃の長江流域でも新石器文化が栄え,浙江省の遺跡などが有名である。
黄河中・下流域の黄土地帯では,降雨量が少なく稲は栽培されていない。[ 1 ]文化と[ 3 ]文化の黄河文明は畑作文化,一方[ 5 ]の長江文明は稲作文化である。
IX-4. 邑(ゆう)
黒陶を用いていた文化の末期に集落は大型化し,と呼ばれる壕(ほり)や城壁で囲まれた城郭(じょうかく)都市が現れた。これはのちに大小の都市国家へと発展していった。中国最古の王朝であるやつづくは[ 2 ]の連合体であり,この時代の国家概念を[ 2 ]制国家という。
[ 2 ]制国家の時代は,各地に[ 2 ]が点在している状態であった。面としての領土をもつ国家(領域国家)が登場するのは,戦国時代で,趙や燕が築いた長城は国境であり,領土の概念が生じていることが分かる。
IX-5. 殷
伝説では王朝が中国最初の王朝とされるが,その王朝の所在は確認されていないため,最古の王朝は前16世紀頃にできた(商)とされる。[ 2 ]は都市国家であるのひとつであり,宗教的儀礼を通じた政治によって多数の[ 3 ]を統率した。[ 2 ]の王は神意を占い,その結果を亀甲や獣骨に記録する文字を持っていた。この[ 5 ]文字は漢字の原型となった。また,[ 2 ]は高度に発達した製作技術を持っていた。
[ 2 ]は中心都市を何度か変えているが,後期の都とされるのが河南省安陽市で20世紀初めに発見された殷墟である。
IX-6. 周の時代区分
黄河の支流の流域におこった周は初め殷に服属していたが,前11世紀頃に殷を滅ぼし,華北を支配した。前770年を境に前半を,後半をと呼ぶ。さらに,[ 3 ]の時代は,前403年を境に前半を時代,後半を時代と呼ぶ。
IX-7. 西周
前11世紀頃に殷を滅ぼした周(西周)は,都を(現在の西安付近)において華北を支配した。周王は一族・功臣や土着の有力首長に(領地)を与えて世襲のに任じ,貢納と軍役を課した。周王や[ 3 ]は,・・という世襲身分の家臣に領地を与え,農民を支配させた。このような[ 2 ]の分与による統治の仕方をと呼ぶ。周の[ 7 ]制は血縁に基づく氏族的関係であり,一族(宗族)の秩序や祭祀の仕方を定めたが作られた。
(1)孟子が唱えた王朝交代の理論をという。それによると,王朝交替には二つの形式があり,平和的に政権を譲り受けることを禅譲といい,武力に訴えて奪うことを放伐という。殷から周への交替は放伐とされる。(2)西ヨーロッパ中世の封建制度は,個人間の双務的契約関係であり,周の封建制とは性格が異なる。
IX-8. 周の東遷
周王室の内紛にともなって,都のを異民族である犬戎(けんじゅう)に攻略された周は,年に都を東方の(現在の洛陽)に移した(周の東遷)。これ以降を東周というが,周王室は衰え,年の秦による統一まで諸侯が勢力争いを繰り広げる・時代が続いた。
古来より中国には,周辺の異民族に対し,と呼ばれる優越感があった。[ 7 ]では,漢人(漢民族)が住む土地を中華・中国・中原と称し,文明地帯であると美化する一方,周辺の異民族が住む地を未開の地とみなして蔑視した。東に夷(い),西に戎(じゅう),南に蛮,北に狄(てき)と呼ばれる異民族が住むとされ,異民族を総称してと呼んだ。異民族の名称に当てられる漢字には,けものへんや虫などの字が含まれているところに蔑視観が表れている。
IX-9. 春秋時代
年の周の東遷から,年にが韓・・に分裂するまでを時代という。この時代は,の桓公や[ 3 ]のなど有力諸侯が周王の権威の下に多くの諸侯を招集して諸国を束ねた。このような有力諸侯をという。彼らは,周王を尊び,外敵を打ち払うという「」というスローガンを唱えて諸国の盟主となった。
代表的な5人の[ 9 ]を春秋の五覇というが,5人の候補者は史料によって異なる。しかし,斉の桓公と晋の文公の二人はすべての史料に含まれる。
IX-10. 戦国時代
前403年にが・魏・趙に分裂してから,年の秦による統一までを時代という。この時代は実力主義・下剋上の時代で,周王の権威がなくなり,諸侯は自ら王を称するようになった。有力諸侯は富国強兵策をすすめ,周辺の小国を併合し,と呼ばれる七つの強国が並び立った。[ 2 ]・魏・趙のほかの四つの国は,長江中流域を根拠としたのが,山東を領有したのが,現在の北京付近を支配したのが,最も西方に位置したのが秦である。秦は前4世紀半ばに,の改革(変法)によって国力を高め,東方の六国を圧倒していった。
戦国時代の名称は,この時代の遊説者たちの策などをまとめた漢代の書である『戦国策』に由来す